真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

現在の位置

五色線

ここからメインの本文です。

‡ 栄西 『興禅護国論』

10ページ中1ページ目を表示
解題 ・凡例 |   |  1 |  2 |  3 |  4 |  5 |  6 |  7 |  8 |  9 |  10 |  未来記
原文 |  訓読文 |  現代語訳

← 前の項を見る・次の項を見る →

・ トップページに戻る

1.原文

興禪護國論

興禪護國論卷上

令法久住門第一 
鎭護國家門第二 
世人決疑門第三 
古徳誠證門第四 
宗派血脈門第五 
典據增信門第六 
大綱勸參門第七 
建立支目門第八 
大國說話門第九 
迴向發願門第十

第一令法久住門者。六波羅蜜經云。佛言。爲令法久住說毘尼藏 大論云。佛弟子有七衆。一比丘。二比丘尼。三學戒尼。四沙彌。五沙彌尼。六優婆塞。七優婆夷。前五是出家。後二是居家 此七衆淸淨。則佛法久住。因玆禪宗禪苑淸規云。蓋以嚴淨毘尼。方能弘範三界。然則參禪問道。戒律爲先。旣非離過防非。何以成佛作祖。是故如四分律。四波羅夷。十三僧伽婆尸沙。二不定法。三十尼薩耆。九十波逸提。四波羅提提舍尼。一百衆學。七滅諍法。梵網經三聚淨戒。十重四十八輕戒。讀誦通利。善知持犯開遮。但依金口聖言。莫擅隨於庸輩 大經云。此經若滅佛法則滅説末世律儀也 僧祇律云。佛言。諸佛不結戒。其正法不久住 佛藏經云。佛言。舍利弗。是人捨於無上法寶。墮在邪見。是沙門栴陀羅。舍利弗。我淸淨法。以是因緣漸漸滅盡。我久在生死受諸苦所成菩提法。是諸惡人爾時毀壞。如是之人。我則不聽受一飮水 梵網菩薩戒經云。犯正戒者。不得受一切檀越供養。亦不得國王地上行。不得飮國王水。五千大鬼神常遮其前。鬼云大賊。若入房舍城邑宅中。鬼掃其脚跡。乃至犯戒之人畜生無異 仁王般若經云。大王。法末世時有諸比丘四部弟子。國王大臣。多作非法之行。横與佛法衆僧。作大非法。作諸罪過。非法非律。繫縛比丘如獄囚法。當爾之時法滅不久 大般若經云。舍利子。我𣵀槃後。後時後分後五百歲。甚深般若相應經典。於東北方大爲佛事。何以故。一切如來共所尊重。共所護念。令於彼方經久不滅 此者明依扶律禪法令法久住義矣。大法炬陀羅尼經云。護法者。所謂法欲滅時。菩薩於中方便護持。令法久住。以此因緣復得頂相 仍立法久住門也

← 前の項を見る・次の項を見る →

・ 目次へ戻る

・ “戒律講説”へ戻る

2.訓読文

興禅護国論

興禅護国論巻上

令法久住門第一
鎮護国家門第二
世人決疑門第三
古徳誠證門第四
宗派血脈門第五
典拠増信門第六
大綱勤参門第七
建立支目門第八
大国説話門第九
廻向発願門第十

第一令法久住門とは、六波羅蜜経1に云く、「仏言く、令法久住の爲に毘尼蔵2を説く」と。

大論3に云く、「佛弟子に七衆有り。一に比丘、二に比丘尼、三に学戒尼、四に沙彌、五に沙彌尼、六に優婆塞、七に優婆夷なり。前の五は是れ出家、後の二は是れ居家なり」と。此の七衆清浄なれば、則ち佛法久住す4

茲に因て禅宗禅苑清規5に云く、「蓋し毘尼を厳浄するを以て、方に能く三界に弘範たり。然れば則ち参禅問道は、戒律を先とす。既に過を離れ非を防ぐに非ずんば、何を以てか成佛作祖せん。是の故に四分律の四波羅夷・十三僧伽婆尸沙・二不定法・三十尼薩耆・九十波逸提・四波羅提提舍尼・一百衆学・七滅諍法6梵網経の三聚淨戒・十重四十八軽戒7の如きを、読誦し通利して、善く持犯開遮8を知れ。但だ金口の聖言9に依て、擅に庸輩に隨ふこと莫れ」と。

大経10に云く、「此の経若し滅せば佛法則ち滅せん末世の律儀を説けばなり」と。

僧祇律11に云く、「佛言く、諸佛、戒を結せずんば、其の正法は久住せず」と。

佛蔵経12に云く、「佛言く、舍利弗、是の人、無上の法宝を捨て、邪見に墮在す。是れ沙門の栴陀羅13なり。舍利弗、我が清浄法は、是の因縁を以て漸漸に滅盡せん。我れ久しく生死に在て、諸苦を受け、所成の菩提法、是の諸悪人、爾の時毀壊す。是の如くの人、我れ則ち一飮の水を受ることを聴す」と。

梵網菩薩戒経14に云く、「正戒を犯する者、一切の檀越の供養を受ることを得ず。亦た国王の地上を行くことを得ず。国王の水を飲むことを得ず。五千の大鬼神、常に其の前を遮て、鬼、大賊と云ん。若し房舍・城邑・宅中に入らば、鬼、其の脚跡を掃ん。乃至犯戒の人は畜生に異ること無し」と。

仁王般若経15に云く、「大王、法末の世の時、諸比丘・四部の弟子有て、国王大臣、多く非法の行を作し、横に佛・法・衆僧に大非法を作し、諸の罪過を作す。非法非律にして、比丘を繋縛すること獄囚の法の如し。當に爾の時、法久しからざるべし」と。

大般若経16に云く、「舍利子、我が涅槃の後、後時後分の後五百歳に、甚深般若相應の経典、東北方に於て大に佛事を爲さん。何を以ての故に。一切如来、共に尊重したまふ所、共に護念したまふ所なればなり。彼方に於て久しきを経て滅せざらしめん」と。此は扶律の禅法に依て、法をして久住せしむるの義を明す。

大法炬陀羅尼経17に云く、「護法とは、所謂法の滅せんと欲する時、菩薩、中に於て方便護持して、法をして久住せしむ。此の因縁を以て復た頂相を得る」と。仍て法久住門を立つ。

← 前の項を見る・次の項を見る →

・ 目次へ戻る

・ “戒律講説”へ戻る

3.現代語訳

興禅護国論

興禅護国論巻上

令法久住門第一
鎮護国家門第二
世人決疑門第三
古徳誠證門第四
宗派血脈門第五
典拠増信門第六
大綱勤参門第七
建立支目門第八
大国説話門第九
廻向発願門第十

第一令法久住門 (第一章 仏教をして世に久しく留まらせるために)

『六波羅蜜経』に云く、「仏言く、令法久住のために律蔵を説く」と。

『大智度論』に云く、「仏弟子には七衆がある。一に比丘、二に比丘尼、三に学戒尼、四に沙弥、五に沙弥尼、六に優婆塞、七に優婆夷である。前の五は出家者、後の二は在家者である」と。この七衆が(それぞれの分際に応じた戒あるいは律に従って)清浄であれば、仏法は久住するのである。

このようなことから禅宗の『禅苑清規』に云く、「まさしく(僧侶が)律を厳しく持つことによってこそ、世界に広くその範として(仏法を)示すことが出来るであろう。そのようなことから、参禅問道は戒律を先とするのである。まず過失ある行いを離れ、非法なる言動・思考を防がないことには、一体どのようにして成仏作祖できるというのか。この故に、『四分律』の四波羅夷・十三僧伽婆尸沙・二不定法・三十尼薩耆・九十波逸提・四波羅提提舍尼・一百衆学・七滅諍法、そして『梵網経』の三聚淨戒・十重四十八軽戒などを読誦し、その意味内容に通暁して、よく持犯開遮を知らなければならない。ただ金口の聖言に拠って頼りとこそすれ、自分勝手に平凡な輩(の言動)に従ってはならない」と。

『大般涅槃経』に云く、「この経がもし滅んで伝わらなくなったならば、佛法は滅んでしまうであろう『大般涅槃経』が末世においての律儀を説いているからである」と。

『摩訶僧祇律』に云く、「仏陀言く、「諸々の仏陀が戒を制定されなければ、その正法は久住することはない」と。

『仏蔵経』に云く、「仏陀言く、舍利弗、是の人、無上の法宝を捨て、邪見に墮在す。是れ沙門の栴陀羅なり。舍利弗、我が清浄法は、是の因縁を以て漸漸に滅盡せん。我れ久しく生死に在て、諸苦を受け、所成の菩提法、是の諸悪人、爾の時毀壊す。是の如くの人、我れ則ち一飮の水を受ることを聴す」と。

『梵網菩薩戒経』〈『梵網経』盧舍那佛説菩薩心地戒品第十〉に云く、「正戒を犯す者は、いかなる檀越dānapatiの音写語。施主の意〉からでも、その供養を受けることは出来ない。また国王の領地を行くことも出来ない。国王の領内の水を飲むことも出来ない。五千の大鬼神がつねにその破戒者の行く手を遮り、その鬼〈餓鬼・死者〉から「大賊!」と罵られるであろう。もし房舍・城邑・宅中に入ったならば、鬼らは、その破戒者の足跡を掃き消すであろう。要約すれば、戒を犯す者は畜生に異ることがない」と。

『仁王般若経』に云く、「大王よ、法末の世においては、諸々の比丘など四部の弟子に対して国王や大臣が多く非法の行いなし、ほしいまま仏・法・僧(の三宝)に大なる非法を行って、様々な罪過をなすであろう。非法・非律に比丘を逮捕・拘束することは、まるで監獄の囚人に対するようとなろう。まさにそのような時代こそ、仏法は近く滅するであろう」と。

『大般若経』に云く、「舍利子よ、私が涅槃して後、後時後分の五百年後には、甚深なる般若相応の経典が、東北方において大いに仏事をなすであろう。その故は何であるかといえば、(般若相応の経典は)すべての如来が共に尊重され、共に護念されるものであるから。(東北方の)彼方において、(仏法は)長く伝わり行われて滅ぶことはないであろう」と。此は扶律の禅法に依て、法をして久住せしむるの義を明す。

『大法炬陀羅尼経』に云く、「護法とは、いわゆる仏法が滅びようとする時、菩薩はその次代において様々な方法によって護持し、仏法を久しく留めさせることである。この因縁によって、(菩薩は三十二相好のうちの)頂相〈肉髻〉を得るのである」と。仍て法久住門を立つ。

← 前の項を見る・次の項を見る →

・ 目次へ戻る

・ “戒律講説”へ戻る

4.脚注

  • 六波羅蜜経…般若訳『大乗理趣六波羅蜜多経』のこと。その巻第一にある一節、「若彼有情樂習威儀。護持正法一味和合令得久住。而爲彼説毘奈耶藏」(T8. P868c)の間接引用。
     以下、栄西禅師は様々な仏典を引いて、僧侶らすなわち僧宝が律を厳持することこそが仏法久住の勝因となることを論証する。が、本来それは大乗小乗問わない通仏教の共通認識であって、まともに仏典を読んでいる者に対して、わざわざ諸典籍をこのように引き示すまでもないことであった。
     けれども、おそらくは当時すでに始まっていた末法思想の流行に抗するため、そしてそれに乗じて自身らの堕落や腐敗を正当化していた(主に天台宗の)僧徒に対して、やはりこのように強いて、そしていくつもの典拠を挙げ示す必要があったのであろう。→本文に戻る
  • 毘尼蔵[びにぞう]…律蔵のこと。毘尼とはサンスクリットあるいはパーリ語vinayaの音写語で、その意は調伏。漢訳語は律である。→本文に戻る
  • 大論…鳩摩羅什訳『大智度論』のこと。その巻第十にある一節、「佛弟子七衆。比丘比丘尼學戒尼沙彌沙彌尼優婆塞優婆夷。優婆塞優婆夷是居家。餘五衆是出家」(T25. P130b)の間接引用。→本文に戻る
  • 七衆清浄なれば、則ち佛法久住す…七衆とは、仏教徒の七種のありかたを言う言葉であって、もって仏教徒全体を指す。そのそれぞれがどのようなものかを示せば以下の通り。
     ①比丘:具足戒を受けた仏教の正式な男性出家修行者。
     ②比丘尼:具足戒を受けた仏教の正式な女性出家修行者。
     ③学戒尼:比丘尼となる前の前段階。正学女または式叉摩那とも。
     ④沙弥:具足戒を受けていない見習い男性出家修行者。勤策男とも。
     ⑤沙弥尼:具足戒を受けていない見習い女性出家修行者。勤策女とも。
     ⑥優婆塞:在家の男性仏教信者。信士あるいは善男子とも。
     ⑦優婆夷:在家の女性仏教信者。信女あるいは善女人とも。
    さらに詳しくは別項“七衆とは ―仏教徒とは何か”において詳説しているため参照のこと。
     ここで七衆清浄といわれる中の清浄とは、「すべての仏教徒の身心が純粋無垢である」などということを意味しない。律(戒)についていわれる場合の浄であるとか清浄とは、「律(戒)に違反しない」すなわち適法である、というほどの意味。たとえば、律蔵において金銭は不浄であると言われるが、それは「銭金など汚らわしい」などというのではなく、(僧個人がこれを所有することは)律の規定に違反するため不浄、といわれる。
     またあるいは、たとえば何かそれを所有することが律の規定に違反する物があったとする。それをそのまま所有することは不浄である。しかし、場合によっては、それを個人所有としなくとも個人的に使用することが出来るようになる手順や方法が、律に規定されていることもある。そのような術を浄法という。また、僧が律の規定などに違反せず、しかし其の他もろもろの用立てをする寺に起居するいわば寺男のことは浄人と言われる。いずれにせよそれらは、浄い・汚いという意味での浄ではない。
     さて、七衆にはそれぞれの立場に応じた戒あるいは律が説かれている。ここで栄西禅師は、そのそれぞれが分際に応じた戒または律を極力持していくことによって、仏教は正しく伝えられると述べている。ただし、律蔵などでそのように言われるのは出家者についてのみであって、在家者については言われない。おそらくは大乗経典の所説、たとえば『仁王般若経』などに基づいて、禅師はかく言ったのであろう。
     また、現実には、いくら仏陀によって七衆それぞれに戒や律が説かれているからと言って、それを人が受けたらたちまちその全てを守りえるということなどあり得ない。そして実際、仏陀ご在世の当時からそのようなことは必ずしも無かった。その故に、戒律を持すということは、教条主義的にその全てを文字通り、必ず守りきらねばなるものか、ということは意味しない(ただし、現実にそうする者が多いように、それを自身の堕落・怠慢の逃げ口上としてはならないのだけれども)。
     まず、そもそも戒と律との意味や目的の異なりを知らねばならず、また数ある律の条項には罪の軽重やその意味の異なりがあることを知らねば、この問題を理解することは出来ないであろう。戒律についての詳細は別項“戒律講説”の各項目を参照のこと。→本文に戻る
  • 禅苑清規[ぜんおんしんぎ]…現存する中では最古の禅宗の清規。今に伝わることが無かった古の『百丈清規』に則って長蘆宗賾[ちょうろそうさく]により編纂されたものと言われる。日本曹洞宗の道元にも大きく影響を與えており、その著に幾度も引用されている。
     なお、清規とは禅宗独自の規律規定をまとめたもの。清とは清衆すなわち出家修行者を意味し、規はそのまま規律で、「(叢林における)出家修行者の規律書」となる。叢林とは、特に禅宗における僧堂。
     仏教の出家修行者は、その属するのが大乗であろうが声聞乗であろうが、そのうちいかなる宗派であろうが、あくまで律蔵の規定に基づいてこそ生活すべきものであり、禅宗が支那で誕生したものとはいえ、当初は彼らもおおよそその通りに生活していたであろう。けれども、八世紀に入って馬祖道一が出ると、「平常心是道」などと言って(俗的な意味での)日常生活をこそ重視するようになり、それまでの禅の志向とは大きく転換することとなる。
     その故に、叢林での生活は支那の風俗・思想を是とし、むしろそれをこそ修道の一部として大きく取り入れていくようになり、それに応じた規則を制作し始めた。事実、禅宗で代々重んじられてきた最初期の清規たる『百丈清規』の製作者百丈懐海は、まさしく馬祖道一の弟子であった。
     そのように土地土地の風俗をある程度取り入れて土着化すること自体は問題無く、それは仏教が受け入れられた国々ほとんどすべてにおいて行われていることである。しかしながら、それは後代さらに改訂され、あるいは新たに制作され、時代が下がれば下がるほど道教的・儒教的志向をもつ支那流の度合いを強めたものとなっていき、ついには時として律の規定を完全に無視したものとすらなっていく。
     つまり、律の規定を土地土地の風土風俗に併せて補完したものとしての清規ではなく、律を無視した禅宗独自の制度としての清規となっていくのである。これが日本に来ると、日本天台宗における異常な戒律観とあいまって、さらに混乱した内容となっていく。
     なお、日本の臨済宗が次第に栄西禅師が意図・志向したものとは全然異なったありかた、形態を取るようになって今に至っているのは、禅師亡き後久しくもないうちに宋などから渡来してきた禅僧らが禅師の遺された禅寺に入り、そこでの礼儀作法はもとより用いる言葉すら宋代の支那風に変えていったことにも依るのであろう。→本文に戻る
  • 四分律の四波羅夷云々…『四分律』とは、法蔵部(曇無徳部)伝持の律蔵で、それが四つ分割されて伝えられたことから『四分律』といわれる。五世紀初頭、尊者仏陀耶舎によって漢訳された。支那では当初、説一切有部の律蔵『十誦律』に拠ることが主流であった。けれども、次第にその他の律蔵も請来され、律自体の研究と理解が進むようになると、『四分律』が他の律蔵に比べてよく整っており理解しやすいと認識されるようになって、『四分律』が律学の主流となる。日本に律をもたらされた鑑真大和上はやはり南山律宗系の『四分律』によるものであり、以降の日本で行われたのはほとんど全く『四分律』である。
     これはほとんどすべての律蔵に共通するのであるが、律の条項はその罪の重さや内容によって八つに分類され、それは僧戒八段といわれる。
     ①四波羅夷:最重罪。もし犯したならばただちに還俗のうえ永久追放。
     ②十三僧伽婆尸沙:重罪。もし犯した場合、出罪するまでは資格剥奪。
     ③二不定法:最重罪・重罪を犯した嫌疑にかけられた場合の規定。
     ④三十尼薩耆:比丘の所有物に関する規定。
     ⑤九十波逸提:比丘に不適切な行為に関する規定。
     ⑥四波羅提提舍尼:比丘が食事の供養を受ける際の規定。
     ⑦一百衆学:比丘の行儀作法・起居振る舞いなどに対する規定。
     ⑧七滅諍法:僧伽内で諍論が生じた際の解決方法に関する規定。
    『四分律』の場合、この僧戒八段それぞれの規定の合計が、4+13+2+90+4+100+7250となることから、律をして二百五十戒と呼称するようにもなっている。
     なお、『十誦律』の場合は総数263であり、南方の『パーリ律』の場合は227であって、律蔵によって若干ながらその数に差異がある。もっとも、その差異はほとんど行儀作法の規定である⑦衆学法において生じたものであって、数は違えどその内容には大差ない。
     『四分律』についてのさらなる詳細は別項“『四分律』とは”を参照のこと。→本文に戻る
  • 梵網経の三聚淨戒云々…鳩摩羅什訳『梵網経』盧舍那佛説菩薩心地戒品第十 巻下に説かれる十重四十八軽戒のこと。支那以来、本邦では鑑真大和上渡来以来、大乗の僧侶が大乗菩薩戒のいわば代表的なものとして『梵網経』所説の十重四十八軽戒を受けることが行われた。
     十重四十八軽戒がいかなる内容をもつものであるかは、別項“十重四十八軽(十重禁戒)”に詳説しているため参照のこと。
     ここで栄西禅師は「梵網経の三聚浄戒」などと言っているが、『梵網経』に三聚浄戒はまったく説かれないため、これは禅師の錯誤。いや、あるいは当時、『菩薩瓔珞本業経』にて三聚浄戒と十重禁戒とが混同して説かれていることと、『梵網経』所説の十重禁戒とを合して理解することが行われていたが、そのためであろう。三聚浄戒とは何かについては、別項“三聚浄戒”を参照のこと。 →本文に戻る
  • 持犯開遮[じぼんかいしゃ]…ある行為について、律(戒)においては適法か不法か、許されているか許されていないかの判断・知識。→本文に戻る
  • 金口の聖言[こんくのしょうごん]…経典に伝えられている、仏陀の言葉。→本文に戻る
  • 大経…曇無讖訳『大般涅槃経』巻第十八「若是經典祕密之藏滅不現時。當知。爾時佛法則滅」(T12. P472b)の間接引用。栄西禅師が割り注で「末世の律儀を説けばなり」としているのは、『大般涅槃経』をして涅槃扶律・扶律顕常と解してのこと。→本文に戻る
  • 僧祇律[そうぎりつ]…仏駄跋陀羅・法顕訳『摩訶僧祇律』巻第一の冒頭の間接引用。「若篤信善男子。欲得五事利益者。當盡受持此律。何等五。若善男子。欲建立佛法者。當盡受持此律。欲令正法久住者。當盡受持此律。〔中略〕 有何因縁。諸佛世尊滅度之後法教久住。爾時佛告舍利弗。有如來不爲弟子廣説修多羅祇夜授記伽陀憂陀那如是語本生方廣未曾有經。舍利弗。諸佛如來不爲聲聞制戒。不立説波羅提木叉法。是故如來滅度之後法不久住」(T22. P227a-b)。
     『摩訶僧祇律』は摩訶僧祇すなわち大衆部が伝持した律蔵。支那にはおよそ五種の律蔵広本、すなわち『四分律』『五分律』『摩訶僧祇律』『十誦律』『根本説一切有部律』が請来されて翻訳され、研究されたがそのうちの一つ。
     このように、律は仏法久住のために制定された、と説かれるのは『僧祇律』に限ったことではなく、およそすべての律蔵において等しく説かれている。→本文に戻る
  • 佛蔵経[ぶつぞうきょう]…鳩摩羅什訳『仏蔵経』巻上にある一節、「舍利弗。是人捨於無上法寶墮在邪見。是沙門旃陀羅。有諸白衣往詣其所。如此惡人而爲説法。以利養故稱讃於佛及法與僧。但求活命爲財奴僕。貪重衣食讃己所樂。若行布施得生天上。於佛法中施爲下法。讃以爲最而作是言。大施因縁得生天上。不知語言不解義趣。但知初入淺近下法。貪著我人捨第一義。舍利弗。如是説法。或時有人生信出家。與諸惡人而共和合。不能勤求第一深義。有所得者説有我人壽者命者。憶想分別無所有法。於阿毘曇修妬路中自爲議論。或説斷常或説有作或説無作。舍利弗。我法爾時多外道法。令諸衆生正見心壞。如是舍利弗。我清淨法以是因縁漸漸滅盡。舍利弗。我久在生死受諸苦惱所成菩提。是諸惡人爾時毀壞。舍利弗。若有比丘。不能捨是有所得見我見人見。不解如來隨宜所説。而言決定有我人法。如是之人。我則不聽受一飮水。」(T15. P787b-c)の間接引用。
     もっとも、栄西禅師のこの引用の仕方は少々不可解で、中略しすぎて意味が不明瞭となっている。→本文に戻る
  • 栴陀羅[せんだら]…サンスクリットcaṇḍālaの音写語。旃陀羅とも。インドにおけるヴァルナ(カースト制)で最下位とされる奴隷のこと。ここでは、そのような階級としての奴隷を指しているのではなく、「汚らわしい者」「賤しい者」というほどの意で用いられている。大乗の仏典においては、しばしば非法の比丘・沙門をして旃陀羅であると批難している。
     余談ながら日本の一昔前の六、七十年代頃であろうか、日本にやたらと左巻きの風が吹いて一種の流行となっていた当時のことである。仏典あるいは祖師といわれる人々の著作のなかに、貴賎であるとか旃陀羅だとかいう言葉のあることを探し出しては、これを「差別だ!」「○○は差別主義者!」「仏教は差別主義的宗教!猛省せよ!」などと糾弾して、大騒ぎする人々があった。また有名な仏教学者の中にもそのような思想に汚染されていた人々があり、まるきり左巻きの見方で仏教を解釈する者が比較的多くあった。そしてそれは当時から最近まで、案外社会に受け入れられていたのである。無常なるかな、隔世の感あり。しかし、そのうちまたそのような流行が生じることもあるあろう。→本文に戻る
  • 梵網菩薩戒経[ぼんもうぼさつかいきょう]…『梵網経』心地戒品第十所説の四十八軽戒のうち、第四十三軽戒に該当する一節からの引用。「若佛子。信心出家受佛正戒。故起心毀犯聖戒者。不得受一切檀越供養。亦不得國王地上行。不得飮國王水。五千大鬼常遮其前。鬼言大賊。若入房舍城邑宅中。鬼復常掃其脚跡。一切世人罵言佛法中賊。一切衆生眼不欲見。犯戒之人畜生無異木頭無異。若毀正戒者。犯輕垢罪」(T24. P1009a)。→本文に戻る
  • 仁王般若経[にんのうはんにゃきょう]…不空三蔵訳『仁王護国般若波羅蜜多経』巻下「大王法末世時國王大臣四部弟子。各作非法横與佛教。作諸過咎非法非律。繋縛比丘如破獄囚。當知爾時法滅不久」(T8. P844b)。→本文に戻る
  • 大般若経[だいはんにゃきょう]…玄奘三蔵訳『大般若波羅蜜多経』巻第三百二にある一節「舍利子。我滅度已後時後分後五百歳。甚深般若波羅蜜多。於東北方大作佛事。何以故。舍利子。一切如來應正等覺所尊重法。即是般若波羅蜜多。如是般若波羅蜜多一切如來應正等覺共所護念。舍利子。非佛所得法毘奈耶無上正法有滅沒相。諸佛所得法毘奈耶無上正法。即是般若波羅蜜多。舍利子。彼東北方諸善男子善女人等。若能於此甚深般若波羅蜜多。信解受持讀誦修習思惟廣説。我常護念是善男子善女人等令無惱害」(T6. P539b)の間接引用。→本文に戻る
  • 大法炬陀羅尼経[だいほうこだらにきょう]… 闍那崛多訳『大法炬陀羅尼経』巻第四「護法者。所謂法欲滅時。菩薩於中方便護持令法久住。以此因縁復得頂相」(T2. P677a)。→本文に戻る

← 前の項を見る・次の項を見る →

・ 目次へ戻る

・ “戒律講説”へ戻る

10ページ中1ページ目を表示
解題 ・凡例 |    |  1 |  2 |  3 |  4 |  5 |  6 |  7 |  8 |  9 |  10 |  未来記
原文 |  訓読文 |  現代語訳

・ トップページに戻る

メインの本文はここまでです。

メニューへ戻る


五色線

現在の位置

このページは以上です。