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‡ 栄西 『興禅護国論』

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1.原文

興禪護國論序

大宋國天台山留學日本國阿闍梨
傳燈大法師位 榮西跋

大哉心乎。天之高不可極也。而心出乎天之上。地之厚不可測也。而心出乎地之下。日月之光不可踰也。而心出乎日月光明之表。大千沙界不可窮也。而心出乎大千沙界之外。其太虛乎。其元氣乎。心則包太虛而孕元氣者也。天地待我而覆載。日月待我而運行。四時待我而變化。萬物待我而發生。大哉心乎。吾不得已而強名之也。是名最上乘。亦名第一義。亦名般若實相。亦名一眞法界。亦名無上菩提。亦名楞嚴三昧。亦名正法眼藏。亦名𣵀槃妙心。然則三輪八藏之文。四樹五乘之旨打併在箇裏。大雄氏釋迦文。以是心法。傳之金色頭陀。號教外別傳。洎鷲峯迴面雞嶺笑顏。拈華開千枝。玄源注萬派。竺天繼嗣晋地法徒。束以可知矣。寔先佛弘宣之法。法衣自傳。曩聖修行之儀。儀則已實。法之體相。全師弟之編。行之軌儀。無邪正之雜。爰西來大師鼓棹南海。杖錫東川以降。法眼逮高麗。牛頭迄日域。學之諸乘通達。修之一生發明。外打𣵀槃扶律。内併般若智慧。蓋是禪宗也。我朝聖日昌明。賢風遐暢。雞貴象尊之國。頓首丹墀。金隣玉嶺之郷。投信碧砌。素臣行治世之經。緇侶弘出世之道。四韋之法猶以用焉。五家之禪豈敢捨諸。而有謗此之者。謂爲暗證禪。有疑此之者。謂爲惡取空。亦謂非末世法。亦謂非我國要。或賎我之斗筲以爲未徴文。或輕我之機根。以爲難興廢。是則持法者滅法寶。非我者知我心也。非啻塞禪關之宗門。抑亦毀叡嶽之祖道。慨然悄然是耶非耶。仍蘊三篋之大綱。示之時哲。記一宗之要目。貽之後昆。跋爲三卷分立十門也。名之興禪護國論。爲稱法王仁王元意之故也。唯恃狂語之不違于實相。全忘緇素之弄説。憶臨濟之有潤于末代。不恥翰墨之訛謬也。冀傳燈句無消。光照三會之曉。涌泉義不窮。流注千聖之世。凡厥題門支目。列於後云爾

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2.訓読文

興禅護国論序

大宋国天台山留学日本国阿闍梨
伝灯大法師位 栄西跋

大いなる哉、心や。

天の高きは極む可からず。而るに心は天の上に出ず。地の厚きは測る可からず。而るに心は地の下に出ず。日月の光は踰ゆ可からず。而るに心は日月光明の表に出ず。大千沙界1は窮む可からず。而るに心は大千沙界の外に出ず。

其れ太虚2か、其れ元気3か。心は則ち太虚を包んで元気を孕む者なり。

天地は我を待て覆載し、日月は我を待て運行し、四時4は我を待て変化し、萬物は我を待て発生す。

大いなる哉、心や。

吾れ已得ずして強ちに之に名づく。是れを名づけて最上乗5となし、亦た名づけて第一義6となし、亦た名づけて般若実相7となし、亦た名づけて一真法界8となし、亦た名づけて無上菩提9となし、亦た名づけて楞厳三昧10となし、亦た名づけて正法眼蔵11となし、亦た名づけて𣵀槃妙心12となす。

然れば則ち三輪八蔵13の文、四樹五乗14の旨、打併して箇の裏に在り。大雄氏釋迦文15、是の心法を以て、之れを金色の頭陀16に伝へて、教外別伝17と号す。鷲峯の廻面、鶏嶺の笑顔に洎んで、拈華千枝を開き18、玄源の萬派に注ぐ。竺天の継嗣、晋地の法徒、束て以て知る可し。

寔に先佛弘宣の法、法衣自ら伝へ、曩聖修行の儀、儀則已に實なり。法の體相、師弟の編を全ふし、行の軌儀、邪正の雑無し。

爰に西来大師19、棹を南海に鼓し、錫を東川に杖して以降、法眼20、高麗に逮び、牛頭21、日域に迄る。之れを学して諸乗通達し、之れを修して一生発明す。外に𣵀槃扶律22を打し、内に般若智慧を併す。蓋し是れ禅宗なり。

我が朝、聖日昌明、賢風遐暢す。雞貴象尊の国、丹墀に頓首し、金隣玉嶺の郷、信を碧砌に投ず23素臣24、治世の経を行じ、緇侶25、出世の道を弘む。四韋の法26、猶ほ以て焉を用ふ。五家の禅27、豈に敢て諸を捨てんや。

而るに此れを謗る者有て、謂て暗證禅28と爲し、此れを疑ふ者有て、謂て悪取空29と爲す。亦た謂て末世の法に非ずとなし、亦た謂て我が国の要に非ずとなす。或は我の斗筲を賎て、以て未だ文を徴せずと爲し、或は我の機根を軽んじて、以て廃を興し難しと爲す。

是れ則ち法を持する者の法寶を滅するなり。

我に非ざる者、我が心を知らんや30。啻に禪關の宗門を塞ぐに非ず、抑も亦た叡嶽の祖道31を毀るなり。慨然たり、悄然たり、是か非か。

仍て三篋の大綱を蘊めて、之れを時哲に示し、一宗の要目を記して、之れを後昆に貽す。跋して三巻と爲し、分て十門を立て、之れを名づけて興禅護国論とす。

法王仁王の元意に稱んが爲の故なり。唯だ狂語の實相に違はざらんことを恃んで、全く緇素の弄説を忘る。臨済の末代に潤ひ有らんことを憶ふて、翰墨の訛謬を恥じず。

冀くは伝灯の句、消えること無くして、三会32の曉を光照し、涌泉の義33、窮せずして、千聖の世34に流注せんことを。

凡そ厥の題門支目は、後に列すと爾か云ふ。

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3.現代語訳

興禅護国論 序

大宋国天台山留学日本国阿闍梨
伝灯大法師位 栄西跋

なんと大いなるものであろうか、心とは!

天の高きを極めることは出来ない、けれども心はその天を超える。大地の深さを測ることなど出来ない、けれども心はその地の下(の深き)をさらに出過する。太陽と月の光を超えることは出来ない、けれども心は太陽と月の光明をすら超える。大千沙界は窮めることなど出来ない、けれども心は大千沙界の外にも超越する。

それは太虚であろうか、それは元気であろうか。いや、心とは太虚を包み、また元気をも孕むものである。

天地は我によって覆われも載せられもされ、太陽と月とは我によって運行し、(春夏秋冬の)四時は我によって変化し、万物は我によって発生するのである。

なんと大いなるものであろうか、心とは!

私はやむを得ず、敢えてこれを(心と)名づけるのである。これを名づけて最上乗といい、また名づけて第一義といい、また名づけて般若実相といい、また名づけて一真法界といい、また名づけて無上菩提といい、また名づけて楞厳三昧といい、また名づけて正法眼蔵といい、また名づけて涅槃妙心というのである。

そのようなことから、三輪八蔵の文言、四樹五乗の趣旨は、総じてこの(心の)うちに在るのである。偉大な英雄たる釈尊は、この「心法」をもって金色の頭陀(たる摩訶迦葉尊者)に伝え、これを教外別伝と号されたのである。

(釈尊が)霊鷲山にて(一堂に会した弟子らを)見廻されて(ただ黙って一房の華を示され)たとき、鶏嶺〈摩訶迦葉尊者〉のみが(釈尊の意図を知って)微笑んだという拈華微笑の法嗣はやがて千の枝葉を開き、ついに玄源の万派となったのである。

(仏陀の教えは)天竺にて代々受け継がれ、支那における(その教えを伝えてきた)仏教徒については、総じて知られているとおりであろう。

まさに歴代の仏陀らが弘く宣揚されてこられた教えと(その証・象徴である)袈裟衣とはおのずから伝えられ、先代の聖者らが修行されてきた威儀とその儀則とは真実なるものである。仏法の本質とその有り様は、師から弟子へと余すこと無く伝えられるもので、その修行の儀軌は邪正混合していぬものである。

さて、西来大師〈達磨大師〉が、棹を南海〈東南アジア〉に鼓ち、錫を東川〈洛陽〉に杖して以来、法眼(の禅)は高麗に広まり、牛頭(の禅)は日域にまで伝わったのである。

この心法を行うことによって仏陀の諸々の教えに通達し、この心法を修してこそこの生において悟りに達する。外には涅槃扶律を示し、内には般若智慧を併せ持つもの、まさしくそれが禅宗である。

我が国では、天皇のご威光明らかにして、その賢政は国の隅々に布かれている。鶏貴〈高麗〉や象尊〈天竺〉の国より来たる者があれば、丹墀〈御所〉にて(天皇を)礼拝し、金隣〈東南アジア〉・玉嶺〈現パキスタン周辺〉の郷でも、美しい石畳にぬかづいて誠を尽くしている。その臣下らは、治世の経を行じ、僧侶は、出世間の道を弘めている。

(インドにおいては、バラモン教の古の聖典『リグ・ヴェーダ』・『サーマ・ウェーダ』・『ヤジュル・ヴェーダ』・『アタルヴァ・ヴェーダ』の)四韋陀〈4種のヴェーダ〉の法が、今なお尊ばれ行われている。にもかかわらず、(今の日本において、ましてや仏陀の教えの一端たる臨済宗・潙仰宗・雲門宗・曹洞宗・法眼宗の)五家の禅を、どうして捨てるということがあろうか。

しかしながら、これ〈禅〉を謗る者があって「暗証禅だ」と言い、これを疑う者があって「悪取空である」と言いたてている。または「(禅など)末法の世に 適した教えではない」と言い、また「我が日本国の(仏教には)必要無いものである」と言う。あるいは私の器量を賎しんで「いまだ(禅なるものの根拠となる)経文を挙げていない」と言い、あるいは私の能力を軽んじて「(修禅などという)廃れてしまった行を復興することなど出来ないに違いない」と言う。

これら(日本の僧徒らによる禅への批判の言葉)は、まさしく法〈仏教〉を奉持する者でありながら、(仏・法・僧の三宝のうちの)法宝を滅する言である。

(そのような法宝を滅するごとき言を発する者であって)私でない者が、一体どうして私の志を知れるというのであろうか。それは、ただ単に禅関の宗門を塞ぎ閉じようとするにとどまらず、そもそも(すでに牛頭禅を伝えられていた)比叡山の祖〈伝教大師最澄〉の志をも毀損するものである。

なんと嘆かわしいことであろうか、なんと心打ちのめされることであろうか。さあ、どちらが是であり非であろうか(よく考えてみるべきであろう)。

そのようなことから、三蔵〈経蔵・律蔵・論蔵。ここでは「全ての仏陀の教え」の意〉の大要をまとめて今の知識人・智者らに示し、禅宗というもの概要を記して、これを後代の世の人々のために残すこととした。跋して三卷とし、内容ごとに十章を立て、これを名づけて『興禅護国論』とした。

『興禅護国論』を著したのは、ひとえに法王・仁王のご意志に適おうとしてのことである。ただ私の狂語〈栄西自身がその言葉・文章を謙遜しての語〉が実相〈モノゴトの真実。仏意、仏説〉に違わぬようにすることだけを期して行ったことから、出家・在家において一般に語るべきでないことも語ったかと思う。臨済の教えが後代においても伝わり行われることを強く望んだため、筆や文章に誤りがあってもそれを恥ずることはなかった。

願わくは、伝灯の句〈脈々と伝えられてきた仏陀の教え〉が消えること無く、(未来仏たる弥勒仏が説法される場である)三会の暁を照らし輝かし、湧き出る泉(に比せられる仏陀の教えの徳)が尽きること無く、(未来星宿の)千仏の時代にまで注がれつづけることを。

およそ、この『興禅護国論』の内容構成は、これから列挙する通りである。

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4.語注

  • 大千沙界[だいせんしゃかい]…古の仏教の宇宙論・世界観では、この世界の中心には須弥山と言われる巨大な山を中心とする九つの山と八つの海があるという。これを「九山八海」という。その外周の海の東西南北にそれぞれ大陸があるとされているが、今我々が存在している大陸はその南にある閻浮提[えんぶだい]あるいは瞻部州[せんぶしゅう]である。そしてこの九山八海の底部には下から風輪・水輪・金輪という、それぞれすさまじい厚さを持ついわば土台に支えられている、と言われる。なお、今も巷間用いられる「金輪際~しない」という表現は、この仏教の宇宙観に基づくものである。
     このような三輪と九山八海、およびその天上にある神々の無数の世界を一つの世界あるいは宇宙とみて、これを一小世界とする。そして、その小世界が千あつまったものを小千世界。小千世界がまた千集まったものを中千世界。そして中千世界がさらに千集まったのを大千世界と云うのである。すなわち、1×1000×1000×1000=1,000,000,000であるから、十億の宇宙が集まったものを三千大千世界という。大千と三千とは同じく10003を意味する語。
     ここでは大千沙界と言われているが、ここでいう沙界の沙とは、恒河沙の略。恒河とはサンスクリットGangāすなわちガンジス川の音写語で、沙は砂の意。よって恒河沙とは「ガンジス川および沿岸にある砂の数」を意味し、途方も無い数のこととして用いられる語。
     現在、恒河沙とは一般に1052であるとされるが、仏典においてはそんな数字的厳密性をもって使用などされておらず、おおよそ「無限にも思われる膨大な数」というほどの意で用いられる。それはここでも同様で、栄西禅師もまた、単に「この果てしない世界」という意味として用いているであろう。
     余談ながら、三千世界あるいは大千世界というのはインドの仏教徒間は当然として、日本でも中世から近世前後まで、一般的な世界観として受け入れられてきた。その故に、それら時代における日本の文学作品でも頻繁に登場する語でもあり、その意味を知らねば日本文学を理解することが出来ない場合すらもあろう。しかしながら、近世にはいると儒教〈朱子学・陽明学〉が幕府によって奨励され、これを至上とする漢学者・儒者らが多く出てくるようになると、そのような仏教の世界観はしばしば否定され、それがむしろ仏教全体が虚偽の妄説であることの主な攻撃材料にされた。
    けれども一般には、それを芯から信じているかどうかは別として、言葉としては依然として庶民文学でも引き続き多く使用された。たとえば「三千世界の烏を殺し 主と朝寝がしてみたい」。→本文に戻る
  • 太虚[たいこ]…支那の世界観において、万物の根源とされるもの。→本文に戻る
  • 元気[げんき]…支那の世界観における、万物を生成する根源となる力とされるもの。→本文に戻る
  • 四時[しじ]…春夏秋冬の四季。→本文に戻る
  • 最上乗[さいじょうじょう]…最高の教え。乗はサンスクリットあるいはパーリ語yānaの漢訳語で「乗り物」「車」の意。仏教においては一般に「教え」の意味として用いられる。→本文に戻る
  • 第一義[だいいちぎ]…世俗に対して、より優れた意義、真理。勝義ともいう。
     大乗・声聞乗(小乗)の別を問わず、仏教では真理というものを、世俗と勝義(第一義)とに分けて説く。世間一般で「事実である」と広く認められる事象を「世俗諦」といい、しかし一般にはほとんど見られない、仏教においてこそ究極的な真理として認められことを「勝義諦」という。
     ただし、勝義と世俗とがそれぞれ何を意味内容とするかなどの定義や用い方は、大乗と声聞乗とでは根本的に異なり、また大乗においても唯識と中観とで異なる。→本文に戻る
  • 般若実相[はんにゃじっそう]…般若波羅蜜多すなわち「智慧の完成」に至ることによって得られる、諸法実相(万物の真なる有り様)に対する知見。それはすなわち、すべては無自性空であると知ること。
     龍樹菩薩『大智度論』巻五十七「是故言從般若生。行般若波羅蜜。得諸法實相。於布施持戒等通達。若不得般若實相。不能通達布施持戒。何以故。若一切法空」(T25. P465c→本文に戻る
  • 一真法界[いっしんほっかい]…護法菩薩の『成唯識論』においては、勝義諦を四種に分類して言う中において、勝義勝義すなわち究極中の究極なる真理が一真法界であるという。「勝義諦。略有四種。一世間勝義。謂蘊處界等。二道理勝義。謂苦等四諦。三證得勝義。謂二空眞如。四勝義勝義。謂一眞法界」(T31. P48a)。法界とは、サンスクリットdharma-dhātuの漢訳語で「モノゴトの基体、もしくは基盤」あるいは「モノゴトの存在する場」を意味する語。それが適切か不適切かは別問題として、しばしば全世界だとか全宇宙などといったような意味でも用いられている。
     一真法界は漢訳経典中に全く見られない語であるが、特に支那で撰述された、経典の注釈書においてしばしば用いられている。→本文に戻る
  • 無上菩提[むじょうぼだい]…この上なき悟り。仏陀と等しい悟り。阿耨多羅三藐三菩提(anuttara-samyak-sambodhi)。→本文に戻る
  • 楞厳三昧[りょうごんざんまい]…首楞厳三昧の略。首楞厳とはサンスクリットśūraṃgamaの音写語で、直訳すると「決然とした前進」あるいは「勇ましき行進」の意。漢訳では健相あるいは健行とされる。首楞厳三昧とは、いかなる煩悩にも打ち勝つ三昧であるとされ、一般に百八三昧のうちの一つとされる。
     多くの経典・論書に説かれるが、その中でも禅宗では特に『首楞厳三昧経』が重視され、首楞厳三昧こそ特に優れたものとして主張されることがある。→本文に戻る
  • 正法眼蔵[しょうぼうげんぞう]…正法すなわち仏陀の教えにおける肝心要なる点を指す言葉。インドでは全く見られない、支那で言われ始めて以来日本の禅宗においても好んで用いられた禅宗特有の言葉、標語。
     やや後代、日本に曹洞禅を伝えた道元によって同題の著書があって今も一般に広く知られているが、ここでは無論それを意味しない。→本文に戻る
  • 𣵀槃妙心[ねはんみょうしん]…涅槃に達した者の不可思議なる心。悟った者の微妙なる心。禅宗では、しばしば「正法眼蔵 涅槃妙心」と対句で用いられる。→本文に戻る
  • 三輪八蔵[さんりんはちぞう]…三論宗祖の嘉祥大師吉蔵による教相判釈〈釈尊一代で説かれた多くの教説の優劣浅深の分類〉である、根本法輪・枝末法輪・摂末帰本法輪の三種法輪のこと。それぞれ『華厳経』、『阿含経』・『般若経』等、そして『法華経』が当てられる。吉蔵『法華義疏』第八「三世諸佛有三種法輪。一者根本法輪謂一乘教也。二支末法輪於一説三。三收末歸本謂攝三歸一」(T34. P575a)。
     もっとも、三輪という語は、『解深密経』が所説の三転法輪の略として法相宗における教相判釈にも用いられており、それは全く別の意味内容をもつ。しかし、ここでは栄西禅師の立場を鑑みると嘉祥大師によるものと見て良いと考え、そのように解した。そもそも、この「三輪八蔵之文。四樹五乗之旨」なる一節は、『宝星陀羅尼経』の法琳による序文にあるものであって、栄西禅師はそれを借りてそのまま用いている。「自象化東漸。綿歴歳時。三輪八藏之文。四樹五乘之旨。顯神光於石室。流梵響於清臺」(T13. P536c
     八蔵とは、『菩薩処胎経』にて、仏陀の教えを八種に分類したもの。その八種とはすなわち、①胎化蔵・②中陰蔵・③摩訶衍方等蔵・④戒律蔵・⑤十住蔵・⑥雑蔵・⑦金剛蔵・⑧仏蔵。この分類は智顗の『妙法蓮華経玄義(法華玄義)』にも取り上げられており、天台では比較的知られたもの。「衆經論明教非一。若摩得勒伽有二藏。聲聞藏菩薩藏。又諸經有三藏。二如上加雜藏。分十一部經是聲聞藏。方廣部是菩薩藏。合十二部是雜藏。又有四藏更開佛藏。菩薩處胎經八藏。謂胎化藏。中陰藏。摩訶衍方等藏。戒律藏。十住藏。雜藏。金剛藏。佛藏」(T33. P812a
     ようするに、三輪八蔵とは「すべての仏陀の教え」との意。→本文に戻る
  • 四樹五乗[しじゅごじょう]…四樹とは、釈尊が涅槃される時その四方に生えていた四対(八本)の沙羅の木のことで、まさに釈尊が涅槃された瞬間、二対(四本)の沙羅はたちまち枯れ、二対(四本)の沙羅は逆に生い茂ったとされる。これを「四枯四栄」というが、一般に世の無常なることを端的に著したものとされる。日本文学でしばしば取り上げられる題材ともなっている。
     ただし、智顗の弟子である章安灌頂による『大般涅槃経疏』においては以下のように註されており、その四枯四栄の様を見るのが縁覚・声聞であるか菩薩であるかによって、それがただ無常の理を表したものであると解するか、さらに常住をも表したものと解するかというように理解が異なるのだという。「娑羅雙樹者。此翻堅固。一方二株四方八株。悉高五丈。四枯四榮。下根相連上枝相合。相合似連理。榮枯似交讓。其葉豐蔚。華如車輪。果大如缾。其甘如蜜。色香味具。因茲八樹通名一林。以爲堅固。只此一城有種種見。若見土石者人所住處世間之義。若見是無常苦空興廢者二乘住處。若見是發菩提心處。是値先世佛處願處修定等處者。是菩薩住處。若見是四徳圓滿究竟具足慈憫示人。茅城表常」(T38. P44b)。
     五乗とは、菩薩乗・縁覚乗・声聞乗・天乗・人乗という仏教における五種の教えを指す語。
     やはり三輪八蔵に同じく、四樹五乗とは「仏陀の教えすべて」というほどの意。→本文に戻る
  • 大雄氏釈迦文[だいゆうししゃかもん]…偉大な英雄たる釈迦牟尼仏のこと。釈迦文とは、サンスクリットŚākyamuniあるいはパーリ語Sākiyamuniなどの音写語。これにはまた釈迦牟尼との音写語もある。
     釈迦とは仏陀の出身部族の名であるが、その出身の聖者(muni)であったことから、これを漢語で略し敬称して釈尊と一般にいう。→本文に戻る
  • 金色の頭陀[こんじきのずだ]…尊者 摩訶迦葉(MahāKāśyapa)、大迦葉尊者のこと。
     ここで金色というのは、摩訶迦葉尊者は宿善によって三十二相好のうち七相を具えていたとされ、仏陀に同じくその肌の色が美しい黄金色のようであったと言われることによる。
     頭陀とは、サンスクリットdhūtaの音写語でその原意は「振り払うこと」・「捨て去ること」であり、漢訳では「斗藪煩悩塵垢(煩悩を振りはらうこと)」などとされ、一般に「厳粛な修行」あるいは「清貧なる生活」が仏教では意味される。摩訶迦葉尊者は、その頭陀行を仏弟子中もっとも厳しく行われていた、ということから「頭陀行第一」などと賞賛される。
     具体的に頭陀行とはどのようなことかについては、十二頭陀(南方の分別説部にては十三頭陀)としてまとめられている。 ここで『五分律』に依って、その十二頭陀とは何かを言えばすなわち、
     ① 阿練若:阿練若(閑静な森林)で住むこと。
     ② 乞食:毎日、托鉢によって食を得ること。
     ③ 一坐食:一日一食しか取らないこと。
     ④ 一種食:正午を過ぎたならば、水や果汁であっても取らないこと。
     ⑤ 一受食:一食分のみを受けること。
     ⑥ 次第乞食:托鉢する家を選ばず順に廻ること。
     ⑦ 塚間:墓地あるいはその近くに住むこと。
     ⑧ 糞掃衣:糞掃衣(古い布を継ぎ合わせた袈裟)のみを着ること。
     ⑨ 三衣:一揃えの三衣のみを所有して予備を所有しないこと。
     ⑩ 随数坐:就寝時であっても決して横にならないこと。
     ⑪ 樹下坐:大木の下に住むこと。
     ⑫ 露坐:建物の中ではなく、外で住むこと。
    頭陀行とは、これらを欠けること無く全て同時に行うことでは必ずしもないが、これらのほとんど多くの項目を現代においてもなお行われている修行者は、セイロンやビルマに少数ながら存在されている。特にセイロンにおける森林住の比丘らには、世にはほとんど全く知られず、またいまだ世寿それほど長けてはいなくとも徳高き閑かな人が幾人もある。→本文に戻る
  • 教外別伝[きょうげべつでん]…禅宗においてのみ用いられる、その標語。禅宗以外の仏教においては経典や論書を学び理解して悟りを求めようとするのに対し、禅宗では僧堂(叢林)での日常生活の中、すでに「悟った」師匠が弟子にその「悟り」を体験させるものであって、それは文字によって伝えることが出来ない、というほどの意味の語。これは他宗に対する禅宗の特徴や優位性を示さんとした語でもある。しかし実際のところ、「教外別伝」ということについていえば、禅宗に限って言えることではない。
     一般に、禅宗の標語は「教外別伝 不立文字 直指人心 見性成仏」の四句であるが、実際には「教外別伝 不立文字」のみが対句でいわれることが多い。→本文に戻る
  • 鷲峯の廻面、鶏嶺の笑顏に云々…釈尊が霊鷲山(鷲峯)で弟子達に説法中、おもむろに黙って一つの華をつまみ、弟子達に示した。ところが、誰もその意図が理解できなかった。しかし、ただ一人、摩訶迦葉尊者のみがそれを理解したので、釈尊は微笑んだという。そこで釈尊は、言葉を超えた真理が摩訶迦葉尊者に伝わったと告げたという説話。この話は「拈華微笑」といわれ、禅宗では必ず語られる話となって公案の題材ともされている。これはまた禅宗の言う「以心伝心」の始め。この話をもって、禅の教えはそのような「言葉を超えたもの」であるとされ、摩訶迦葉尊者が禅宗の第一祖であるとみなされるのである。
     しかしながらこの話は、禅宗を権威付けて他宗に対抗するために支那で捏造された偽経『大梵天王問仏決疑経』にのみ描かれる創作話である。この経典が偽経であって「拈華微笑」の話がまったく拙い作り話であることは、別段現代の文献学・仏教学によって初めて明かされたものではなく、日本の近世にはすでに言われていたことであった。
     たとえば江戸中期の慈雲尊者は、禅宗における諸々の話が詮ない作り話であることは認めつつ、しかしその創作話によって言わんとしている以心伝心や教外別伝などの本質は汲み取るべきで、強いてそれらを偽経だ創作だと言い立てて排除しようとするのは愚の骨頂だとされている。ただし、現代と同じく、当時も教外別伝といった言葉を曲解し、軽薄な意味で用いてむしろおためごかす輩が多数あったようだが、そのようなのについては強く批判し、そのようになることを厳に戒めている
     なお、 鶏嶺とは鶏足山のことであるが、「摩訶迦葉尊者は弥勒菩薩が下生される釈尊の涅槃から五十六億七千万年後の未来まで、その山中において入定を続けている」という伝説から、鶏嶺とは摩訶迦葉尊者を意味するものとしてここで用いられている。→本文に戻る
  • 西来大師[せいらいだいし]…支那における禅の第一の祖師、菩提達磨(Bodhidharma)のこと。五世紀から六世紀頃の人物で、東南アジア経由で支那に渡ってきたといわれる。伝説では渡来のその最初期、梁の武帝に請われてその法を示そうとしたものの、いまだ禅の教えを支那の人々が受け入れる時機となっていないと考えたことから、洛陽外の嵩山少林寺の洞窟において、九年間ひたすら壁に向かって座し、修禅に没頭したという。これを面壁九年という。しかしその後、神光(慧可)という支那僧が菩提達磨に熱心に教えを乞うたことをきっかけとして、次第に禅の教えが広まることとなったと言われる。
     一説には、菩提達磨の最後は非業なもので、次第に世の名声を得て行った菩提達磨に嫉妬した同時代のインドの訳経僧、菩提流支らによって毒殺されたのだと伝えられる。
     菩提達磨は、支那から西方に位置する南インドあるいはペルシャからやって来た偉大な僧であったということから、(そもそも、支那への渡来僧のほとんどが西来しているのであるけれども)西来大師と言われる。もっとも、一般には達磨大師として知られているか。→本文に戻る
  • 法眼[ほうげん]…法眼文益(885-958)を祖とする禅の一派。この流れにあった永明延寿(904-975)が高麗王光宗に請われ、その下に派遣された三十六人の高麗人に禅を教え授けたことから、高麗において法眼宗が広まった。→本文に戻る
  • 牛頭[ごず]…牛頭法融(594-657)を祖とする禅の一派。三論宗(中観)の見解に大きく影響を受けていた禅の一流と言われ、禅宗諸派の中でも論理的見解を持っていたという。支那の北宗禅・南宗禅とに対抗しうるだけの勢力を持ち得る系統であったようだが、宋代以降は衰微した。
     ここで栄西禅師が日域すなわち日本に伝えられたと言っているのは、最澄が入唐留学したとき、天台山禅林寺の翛然[しゅくねん]から牛頭系統の禅を学んだことを最澄自身がその著『内証仏法相承血脈譜』(伝全Vol.2, P529)において述べていることを受けてのこと。
     もっとも、忌憚なく言ってしまえば、それが最澄によって実際に日本で行われて伝承されたなどということは全く無く、それはただ最澄が唐で(少々ながら)あれこれ学んだことの一つとして、そしてそれを自身の法脈の正統性を主張するための傍証として、朝廷に奏上した程度のことであった。→本文に戻る
  • 涅槃扶律[ねはんふりつ]…天台教学でしばしば主張された扶律顕常のこと。扶律顕常とは、破戒無戒なる非法の僧侶が横行する末世においては、もはや正しく仏教を理解することが出来なくなってしまうが、それを正すのに必要なのは戒律を持すことであり、またそうしてこそ(『涅槃経』の主要な説である)仏性常住を理解することが出来るということ。「律の扶助によってこそ常住が顕れる(仏性について正しく理解される)」というほどの意。
     栄西禅師はこの『興禅護国論』において、仏教を正しく理解するには僧が律を持すことが必須であることを、扶律顕常あるいは扶律説常などの語によっても、しばしば主張している。
     これは、日本天台宗の最澄が、平安初期のその最初から戒律について極めて異常な主張をなし、これが日本国の制度として認められて、その異常なる方法によって天台僧が生み出されるようになってしまって以降、比叡山には律はもとより戒すらも一顧だにされないようなありかたをしていたことが、まず第一にあるのであろう。(日本でそのように至った経緯については別項“最澄『山家学生式』”を参照のこと。)
     そもそもは、そのような比叡山出身であった栄西禅師であるけれども、その二度に渡る入宋経験から、日本天台宗のそれが国際的には全く通用しない、率直に言って非法以外の何物でもないことが十分に承知されていたのであろう。
     そして次に、平安末期から流行の兆しを見せていた浄土教が、それは持戒や修禅など無用、様々な自助努力的修行などむしろ害悪とすら主張していたのであるけれども、日本で次第に勢力を得ていたことに対する言でもあったろう。
     平安末期、それまでその存在など全く知られていなかった『末法灯明記』なる書が突如として、しかもそれが最澄が著したものだとして取り沙汰されるようになり、浄土教や日蓮教における主張の主要な根拠の一つとされるようになる時代。末法の世が当来することを理由とし、そのような時代においては持戒も修禅も不要で、ただ強烈な信(あるいは称名念仏や題目)をこそ必要であると言うが如き、いわば非仏教的信仰・狂信的信仰が仏教内において生じだしていた当時。栄西禅師は、そのような潮流に対して強く反し、それがまったく誤りであることをこの『興禅護国論』の随所において主張している。→本文に戻る
  • 鶏貴象尊の國、丹墀に頓首し云々…鶏貴とは高麗のことで、象尊とは天竺のこと。丹墀[たんち]とは天子の宮殿のことで、ここでは天皇の御所のこと。金鱗は東南アジアで、玉嶺とはカラコルム山脈やヒマラヤ山脈西端などを頂く現在のパキスタン周辺。碧砌[こんせい]とは碧く美しい石畳のことで、転じて宮廷の意。
     この一節は、義浄三蔵『南海寄帰内法伝』の序にある「鶏貴象尊之國。頓顙丹墀。金隣玉嶺之郷投碧砌」(T54. P206a)で、唐の皇帝を称えたものであるが、これを栄西禅師は日本の天皇を称えるものとして借用している。→本文に戻る
  • 素臣[そしん]…在家の家臣のこと。
     素は白色の意。仏教の在家信者は白色の衣服をまとっていたことから、白色は在家信者を意味する。一般にいわれる素人とは本来、在家信者を意味した言葉。→本文に戻る
  • 緇侶[しりょ]…仏教の出家者、僧侶のこと。
     緇は鼠色の意。仏教の出家者が身につけて良いとされる色は、(支那で主流であった律蔵『四分律』の所説に基づけば)青系・黒系・木蘭系の中間色であるが、支那では多く黒系の中間色すなわち鼠色、濃い灰色の衣が多く用いられた。そのような色の衣帯を、出家僧侶が一般に着していたことから、緇をもって僧侶の意とするようになった。
     そのような出家と在家とをまとめていう言葉が、緇素[しそ]である。なお、今も日本で一般にはプロの意味合いで用いられる玄人の玄とは緇に同じで、本来は僧侶を指した言葉であった。
     世間には緇を黒色と説明する者もあるが、黒は出家者にまとうべきでない禁じられた色であるから正確でなく、適切でない。あるいはこれを墨染めの衣とも称することもあるけれども、それはやはり黒ではなく薄墨色、すなわち濃い灰色なのである。→本文に戻る
  • 四韋の法[しいのほう]…四韋陀の略。韋陀はサンスクリットvedaの音写語で、インド・バラモン教の聖典たるヴェーダのこと。このヴェーダには『リグ・ヴェーダ』、『サーマ・ヴェーダ』、『ヤジュル・ヴェーダ』、『アタルヴァ・ヴェーダ』の四種あることから四韋陀と言われる。→本文に戻る
  • 五家の禅[ごけのぜん]…支那で派生した五つの禅の流れ、すなわち臨済義玄・潙山霊祐・雲門文偃・曹洞(青原行思・洞山良价・曹山本寂)・法眼文益がそれぞれ創始して伝えた禅のこと。すべて南宗禅の系統に属する。
     他にも多くの系統が存在したというが、法眼文益(885-958)が『宗門十規論』を著し「五家」として以上の系統を挙げ連ねたことを嚆矢として次第にこれが定着。やがて代表的な禅の流派を意味する言葉となった。
     五家の中で宋代に主流となったのは臨済義玄に始まる臨済宗および雲門文偃の雲門宗で、なかでも臨済宗から派生した黄龍派と楊岐派ともやがて勢力を持つようになり、これら二派と五家を併せて「五家七宗」といわれるようになる。→本文に戻る
  • 暗証禅[あんしょうぜん]…不立文字の真意を誤解して経論の所説や修学をほとんどせず、あるいはそれを嘲り、ひたすら修禅のみによって悟りを得ようとする禅者を揶揄した言葉。その行いになんら仏教としての根拠も証果も無いことから暗証あるいは闇証といわれ、その禅者のことを「暗証の禅師」と言う。暗証禅に類する言葉に「野狐禅」がある。
     暗証の禅師に対し、ただ経論の修学のみを事とし、ひたすら紙面上・文字上の定義や根拠のみを追求して修禅しない僧のことを揶揄して「文字の法師」という。宗密『禅源諸詮集都』「教者指禪爲暗證。禪者目教爲漸修」(T48. P397b)。
     余談ながら、密教においても、「暗証禅師と文字法師」との関係に似たような存在がある。経文の云々はただ文字上のことであると端から理解しようとすらせず、ただ「ひたすら拝めばええんやぁ」などとうそぶいて三密瑜伽の行法を行えば良いと考える人々、あるいは経論の所説を追わず論理的思考を用いずにやたらと修法のみを重しとして追求する人々があって、これを事相家などという。対してそのような事相をほとんど行わず、ひたすら経論の云々を追求・研究するのみの人々があって、これは教相家などと言い、両者たがいに相容れないような面がある。無論、両者共におかしいのであるけれども、一般に僧職者らに人気があるのは、それが寺商売に関係することが多いことから、事相家と言われる人かもしれない。
     しかし、面白いことに、その事相家なる中年から年配の密教僧のほとんどが、大の酒好きなうえにその酒に呑まれることが多く、またすこぶる短気で嫉妬深く、どうにもならない激情家であることが多い。それはむしろ、彼らが有難がって熱心に行っている事相なるものに全く意味がないこと、三密瑜伽などとさも高尚なものかのように言いつつそれが無価値な手遊び・言葉遊びとしてしまっていることを、自ら証明してしまっている如しである。けれども、彼らも彼らの信奉者らもそれに気がつくことは無い。なんとも浅ましく、残念な話であろう。→本文に戻る
  • 悪取空[あくしゅくう]…空に対する悪しき見解、たとえば懐疑主義的あるいは虚無主義的に解釈すること。取とは見解のこと。
    悪取空とは具体的にどのような見解について言うかを定義する一例は、これは瑜伽行唯識派における見解となるけれども以下の通り。『菩薩地持経』巻第二「惡取空者。於所知戒又復誹謗一切所知。以是縁故墮於惡道。亦壞他信樂。離苦解脱亦作留難。於戒慢緩謗實法故破壞佛法。云何爲惡取空。若沙門婆羅門。謂此彼都空。是名惡取空。何以故。若言此空無彼性。若言此空有此性。是義應爾。若一切無性。何處何法空。亦不應言此即此空」(T30. P894c)。→本文に戻る
  • 我に非ざる者、我が心を知らんや…『荘子』にあるよく知られた「知楽魚」の説話を念頭に、栄西禅師を批判する者らを揶揄したのであろう。その「知楽魚」の話の概要とは以下のとおり。
     荘子が恵子とともに川のほとりを散歩していた。荘子は「魚が水面を泳いでゆうゆうとしているが、それが魚の楽しみである」と言い出す。すると恵子は「君は魚ではない。どうして魚の楽しみがわかるというのかね」と尋ねた。これに荘子は、「君は私ではない。どうして私が魚の楽しみを私がわからないことが知れようか」と答える。恵子は「私は君ではない。だから、もちろん君のことはわからない。そして、君はもちろん魚ではない。だから、君には魚の楽しみなど決してわかるわけがない」と応じる。これに対し荘子は、「では、この議論の元にたちかえってみよう。君が私にどうして魚の楽しみがわかるというのかね、と聞いてきたのは、すでに君は私が魚の楽しみをわかると知った上で聞いてきたのだろう。私は川のほとりで魚の楽しみをわかったのだ」と答えたのだった。
     見方によればただの詭弁である。が、一見すぐには理解しがたいこの話は、むしろその故にか、現在の日本の一部漢籍の素養がある人々の間で比較的人気なようである。
     『荘子』外篇 秋水第十七「莊子與惠子遊於濠梁之上莊子曰鯈魚出遊從容是魚樂也惠子曰子非魚安知魚之樂莊子曰子非我安知我不知魚之樂惠子曰我非子固不知子矣子固非魚也子之不知魚之樂全矣莊子曰請循其本子曰女安知魚樂云者既已知吾知之而問我我知之濠上也」。→本文に戻る
  • 叡嶽の祖道[えいがくのそどう]…最澄の遺志。叡岳の祖とは最澄のこと。
    そもそも栄西禅師は、久寿元年(1154年)の齢十四で比叡山延暦寺にて出家得度した天台僧であって特に密教をよくした人であるが、ここでわざわざ比叡山延暦寺の開基にして天台宗祖の最澄が引き合いに出されているのは、栄西の伝えようとする禅に対して異を称え、隙あらば暴力によって物理的に叩き潰そうとする構えをさえ見せていたのが特に比叡山の天台僧らであったためである。
     この『興禅護国論』は、そのような天台僧らの反発を鎮めるために著されたものでもあったが、あまり直截な物言いをしたならば比叡山の暴徒によって「護法の名のもと」に殺される危険があった。しかしなお、禅師は時に最澄の著作を持ちだして自身の主張の援護としつつも、時には迂遠に、時にはかなり率直に、最澄の主張(と「されたもの」も含めて)を否定している。→本文に戻る
  • 三会[さんね]…弥勒菩薩がついに仏陀となるべくして生まれる遠い未来のこと。
     仏陀になるとして記別された弥勒菩薩は、今は兜率天にあるものの、釈尊の滅後五十六億七千万年後の未来において仏陀となるべく下生され、竜華樹の下で成道されて、三回にわたって説法されると言われる。それを竜華三会といい、また略して三会とも言う。→本文に戻る
  • 涌泉の義[ゆうせんのぎ]…仏陀の教えには尽きることのない意義・徳があること。
     智顗や吉蔵、澄観ら支那の諸大徳によって、経典(sūtra)という言葉に含まれる五つの意義の一つとして挙げられる。たとえば、吉蔵『維摩経義疏』第一「經者。梵本名修多羅。凡具五義。一曰涌泉。義味無盡。二曰顯示。顯示法人。三曰出生。出生諸義。四曰繩墨。裁邪取正。五曰結鬘。貫穿諸法」(T38. P915c)。
     あるいは、涌泉とは菩提心の譬喩の一つとして経に説かれる。実叉難陀訳『大方広仏華厳経』巻七十八「菩提心者。則爲涌泉。清冷智慧無窮盡故」(T9. P776b)。→本文に戻る
  • 千聖の世[せんしょうのよ]…現在我々が所属する宇宙がすべて壊れて滅し、 また次の未来の宇宙が生じるに至るまでというほどの意。
     千聖とは、その次の宇宙にて次第に現れる千人の仏陀のこと。仏教では、現在の宇宙が生じて滅びるまでの時は「現在賢劫」といい、これが我々が属している宇宙の時間である。そして次の宇宙が生じて滅びるまでの時間は「未来星宿劫」といい、過去の宇宙は「過去荘厳劫」という。
     なお、現在の宇宙もまたその滅びを迎えるまでに千人の仏陀が現れると言われるが、先の仏陀たる釈尊はその四人目であって次の弥勒仏は五人目である、と言われる。→本文に戻る

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