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‡ 栄西 『斎戒勧進文』(解題・凡例)

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1.解題

『斎戒勧進文』とは

『斎戒勧進文』とは、日本臨済宗を初めて日本に伝えてその開祖とされる千光法師 栄西禅師によって、元久元年〈1204〉四月七日に著された、日本全国の僧俗の門徒らに持戒を促した勧進文です。

仏道修行において先ず最も重要となる戒律というものに対する知識もほとんど失われ、故にまたその実行などほとんど全くなされていなかった平安末期から鎌倉初期の当時。

そのような時代にあって、まずは斎(不非時食)を守り、そして菩薩戒を護持することを栄西禅師の僧俗の門人らに呼びかけている、非常に短いものです。

斎戒とは

斎とは日の出から正午までの時間にのみ食事を取ること、あるいはその食事自体を意味する語で、裏を返せばそれ以外の時間には食事をしないことを意味します。

日の出から正午までの時間、それを仏教では時[じ]というのですが、その時間にのみ食事をすること。それは仏教の出家者にはごく基本的な戒律、不非時食戒です。

今でも僧侶の食事を「お斎[とき]」あるいは「中食[ちゅうじき]」などと言うことがあるのですが、それはそのような斎・不非時食戒に由来する言葉であり、僧侶がとり得る午前中の食事をのみ意味する言葉です。

出家者は原則として午前中の托鉢によって、もし托鉢でなくとも在家信者からの寄進に基いて生活するものです。その故に、出家者はあれこれと選り好みしてモノを食べたり、世間並みに三食たっぷり食べる必要もありません。そもそも、それが仏陀ご在世の当時、世間から批難されたことからこの律が制定されたのでした。

午前中にのみ食事をすることは、慣れてしまえば別段どうということもありません。最初は非常な空腹感に襲われ、低血糖になってフラフラとなることもあるかもしれません。けれどもそれは飴玉一つなめておけばすむことです。そしてそれもせいぜい一、二週間だけのこと。それを過ぎてしまえば自然と身体は順応します。

これを「栄養学の観点からドウだ」とか「インドや東南アジアなどではそれで良いかもしれないが、気候も習慣も違う日本では難しいのだ」、あるいは「時代が違うのだから仏陀の時代のことを言われても」云云といったことを言いたがる日本の僧職者もあります。そのような言を発するのはそれをやってみたことも、やろうとしたこともないような人が多いようですけれども。

しかしながら、日本に来ている南海の上座部僧など、日本で実際にそれをごく当たり前に平然と行っている者が少なからずある以上、そのような言はおためごかしの詭弁でしかありません。

あるいはまた、河口慧海師などは仏法を求めてチベットへ入るために、その筆舌に尽くしがたい過酷な大冒険をする最中にあってもなお、摂るものと言っても非常な粗食であったにも関わらず、不非食戒を貫き通されています。

常日頃、「みホトケのみオシエを大切にお守りするのが我ら僧の務め」だとか「我々僧侶はホトケサマにお仕えして生活しているのです」云云と在家信者・檀家の前でのうのうと言っている者であるならば、そのように自分で口にしている以上は実際にその「みオシエ」に従い守り、現実に「お仕え」してしかるべきでありましょう。

また、不非時食戒すら守れないような者が、常日頃「煩悩無盡誓願断」などと唱え、また大乗だの禅だのの修行を、一体どうして語ることが出来ましょう。

不非時食戒、それは苦行というのにすら値しない、本来の仏教僧の基本的行儀であり習慣です。

『斎戒勧進文』にみる栄西禅師の戒律復興の志

もっとも、出家者として定められていることすべてを完全に守りきることなど、まず難しいことではあります。そして、それを完全に守ることは不可能では無いにしても、たしかに不合理な事態に陥ってしまうこともあるでしょう。

けれども、それを頭でのみ考え、口だけあれこれ言ってみたところで仕方ありません。

まず当たり前に守らなければならないこと、たとえばこの不非時食戒や不離三衣戒などを当たり前に守り、そして現代社会においてはその護持に困難を伴うような規定については最大限守っていき、あらためて守り得る環境を自分自身の創意工夫で作り出していく、という姿勢・態度でもって現実にこれを行っていくことこそが肝要でしょう。

二百五十戒といわれる比丘の戒律の幾つかを守れないからと言って、いわば「毒を食らわば皿まで」などといった態度でもって、「守るなら守る、守れないなら守らない。中途半端はいかん。戒律すべてを遺憾なく守るのが無理ならば、そのすべてを投げ捨てなければ偽善だ」などというのは愚の骨頂、実に子供じみた振る舞いでありましょう。

(実際のところ、得意げにそのような態度を取り、したり気にそのような言を述べる僧職の輩は日本に少なくありません。)

また、他の僧侶、たとえば南海から日本へ来て活動している上座部僧などが、幾ばくかの護持の困難な律の条項に反していることを殊更槍玉に挙げ、「ほれ、汝も守り切れていないではないか。時代も風土も違うのだから土台無理な話なのだ。出来ないことを出来るかのように言うのは欺瞞だ」などと鬼の首を取ったかのように言う僧職の輩すらも世にあります。

が、それは自身らの立場というものをすっかり忘れてしまっているからこその言なのでしょう。

そのような態度でいながら、どうして自身を「私はオボウサンです」「自分はダイジョーの僧なのです」などと称し、檀家・信者などから布施を受けることが出来るのでしょうか。それでいて、「我々のやっていることはサービス業ではないのです。我々はあくまで宗教家、仏教者なのであって、我々の行う葬祭儀礼などはあくまで仏教の宗教活動なのです」などというのは実に滑稽と言わざるを得ません。

栄西禅師はその第一歩として、当時も現在と同様、僧侶であっても斎戒すらまともに守るものが存在しなかった当時の状況に鑑み、まず僧俗の門徒らに斎戒を守ることを勧める勧進文を提出したのであろうことは想像に難くありません。

いや、そもそも禅師は建久六年乙卯〈1195〉に記された『出家大綱』序において、仏門に有る出家者に斎戒を厳持すべきことを強く主張していました。

厥佛法者齋戒爲命根。不可不識其命根焉。《中略》 七佛通戒云諸悪莫作諸善奉行自淨其意是諸佛教。一代金言八教大抵只此一偈意也。何依佛法乍出家不從佛誡哉。

そもそも仏法とは斎戒を命根とするものである。(仏教者でありながら)その命根〈戒・律〉を知らないなど、あってはならないことである。《中略》
「七仏通戒偈」に「諸々の悪を為すこと無く、諸々の善を行い、自らその意を清める。それが諸仏の教えである」と説かれる。仏陀一代のあらゆる説法、また今に伝わる八宗の綱要は、ただこの一偈に集約されているのだ。一体どうして仏法によって出家しておきながら、仏陀の誡めに従わないというのか。

菩薩比丘栄西『出家大綱』序
[現代語訳:沙門覺應]

実にもっともなことでありましょう。『出家大綱』序においての斎戒は、総じて戒と律と全てを意味して言われています。

さてまた、これは『斎戒勧進文』本文にて示されていることですが、栄西禅師はここにいう斎戒のうち斎を不非時食とし、戒を菩薩戒であるとしており、ただ不非時食をのみ勧めたものではありません。ここでは、その僧俗の門徒らに、あわせて菩薩戒を護持することを勧めたものです。

『斎戒勧進文』とは、これはその他の『興禅護国論』や『出家大綱』などの著作にも通じて言えることではありますが、大乗の志に基づいて日本に再び戒律を興し、その上で禅を修していかんとする栄西禅師の志をまさしく見ることが出来るものです。

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2.凡例

本文

このサイトで紹介している栄西『斎戒勧進文』は、江戸中期の禅僧高峰東晙大徳によって校訂され、寛政元年〈1789〉に刊行された『出家大綱 斎戒勧進文附』を底本とした。

原文は漢文であるため、原文・訓読文・現代語訳を併記し、対訳とした。もっとも、それぞれいずれかをのみ通読したい者の為に、対訳とは別に、原文・訓読文・現代語訳のみの項を設けている。

原文は、原則として底本のまま旧漢字を用いている。ただし、訓読文は、適宜現行の漢字に変更した。

現代語訳は、逐語的に訳すことを心がけた。もっとも、現代語訳を逐語的に行ったと言っても、読解を容易にするため、原文にない語句を挿入した場合がある。この場合、それら語句は( )に閉じ、挿入語句であることを示している。しかし、挿入した語句に訳者個人の意図が過剰に働き、読者が原意を外れて読む可能性がある。注意されたい。

難読と思われる漢字あるいは単語につけたルビは[ ]に閉じた。

脚注

脚注として、とくに説明が必要であると考えられる仏教用語などに適宜付した。ただし、これは原文にではなく、訓読文に付している。

原意を外れた錯誤、知識不足の為の誤解を含む点など多々あると思われる。願わくは識者の指摘を請う。

非人沙門覺應(比丘慧照) 敬識
(By Araññaka Bhikkhu Ñāṇajoti)

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