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1.比丘尼とは

正式な女性出家修行者

比丘尼とは、サンスクリットBhikṣuṇī[ビクシュニー]」またはパーリ語Bhikkhunī[ビックニー」の音写語で、正式な女性出家修行者です。原意は「(食を)乞う女」。

また、サンスクリットの発音により近い漢語の音写語には、苾蒭尼[びっすに]があります。

この比丘尼になるためには、誰でも例外なく、まず数えで18歳となって以降に、式叉摩那[しきしゃまな]として二年間を過ごさなければなりません。つまり比丘と同じく、最低でも20歳になっていなければなりません。そしてその後、比丘尼の具足戒たる五百戒や大戒などと言われる、およそ350ヶ条からなる律を受けることによって、晴れて比丘尼となることが出来ます。

故に、その年齢が20歳以上であっても、また40であろうが80、100歳であろうが、必ず式叉摩那となって二年間を過ごしていなければ、比丘尼になることは出来ません。

ちなみに、日本では一般に、「比丘尼の五百戒」などと言われることがあります。が、これは概数です(にしては多すぎますが)。

インドの慣習に基づく例外

ただし、ここに例外が一つあります。20歳以下であっても、既婚者(未亡人)であれば、比丘尼になることが可能です。その場合の最低年齢は12才です。つまり、10歳にて式叉摩那となることが可能となっています。

何故か。

それは、現在にまで続けられている、インドにおける婚姻に関する習慣のためだと思われます。

インドでは、これはアジア全般でも見られたことと言えるでしょうが、親同士が子供の結婚相手を決めることが普通でした。現在ですら結婚式当日まで、新郎新婦が互いにその顔も見たことがない、などということはインドの地方部においてはざらです。そして、結婚の約束が、互いの子供が4,5才のときになされて、娘が10才から12才の時には実質的な結婚生活を送る、といこともあります。

もし結婚相手たる男の子が病気や怪我、事故などで死んでしまったときは、花嫁たる女の子は悲惨な人生を送ることになります。その子は、すでに実家を出て嫁していることになるので、婿が死んでしまっていたとしてもそのまま婿側の家の者となります。婚約した時点で相手のモノ(まさしく所有物)になっているので、婚約者が死んでしまった場合、5、6歳ではや未亡人などということもあり得、実際にあります。

未亡人たるこの幼妻は、婿側の家からは、ほとんど奴隷として一生扱われることになります。

これは恐るべき習慣、インドにいまだ存在する悪習の極みの一つです。現在でも、さすがに都市部では少なくなってきているようですが、地方部では普通に存在している、特にヒンドゥー教徒に見られる習慣です。ちなみに、ヒンドゥー教におけるもっとも賞賛される未亡人としてのあり方は、火炎の中に自らを投じ、夫の後追い焼身自殺をすることです。

律蔵には、そのようなインド一般の婚姻についての習慣に関することなど伝えられていませんが、現在も行われているインドのこの(悪しき)習慣を見れば、何故、年若くして未亡人となった場合ならば、比丘尼としても良いとなったかの理由を推測することが出来ます。

八重法・八波羅夷罪

まず第一に、比丘尼は五百戒以外に、いやそれ以前に、八重法あるいは八敬法[はっきょうほう]、パーリ語でAṭṭhagarudhammā[アッタガルダンマー]と言われる、つねに比丘を目上の存在として敬い、その指導を仰ぐべきことが定められた八ヶ条の規定を、終生守らなければなりません。

釈尊は、アーナンダ尊者から女性を出家させることの許可を求められたとき、最初難色を示して拒絶。しかし、アーナンダ尊者による再三にわたる懇願によって、結局許可されるのですが、しかしその絶対条件として制定されたものが八重法です。

女性が仏教に従って出家するならば、この八重法を比丘尼である以上、必ずそして終生守らなければなりません。

八重法 (八敬法)
No. 戒相(抄)
1 出家後百年経ていようと、比丘には誰であれ礼拝しなければならない。
2 比丘を罵ったり謗ったりしてはならない。
3 比丘の罪・過失をみても、それを指摘したり告発したりしてはならない。
4 式叉摩那[しきしゃまな]として二年間過ごせば、具足戒を受けても良い。
5 僧残罪を犯した場合、比丘比丘尼の両僧伽で懺悔しなければならない。
6 半月毎に比丘のもとにて、教誡を受けなければならない。
7 比丘のいない場所で、安居[あんご]してはならない。
8 安居が終われば、比丘のもとで自恣[じし]を行わなければならない。

八重法は、律蔵によってその順序こそ異なりますが、すべての律蔵で説かれる比丘尼として「絶対に」保たなければならない、もっとも重要な基本姿勢です。そしてまた、比丘尼の場合は波羅夷罪が、比丘の場合は四つであるのとは異なって、八波羅夷罪と倍あります。

(*ここで挙げた八重法ならびに八波羅夷法の順序は、『四分律』の所説に従っています。)

八波羅夷法
No. 罪名 罪状(抄)
1 相手の同性・異性、天人・獣を問わず、口・性器・肛門を通じて性交渉する。
2 故意に5 Māsaka[マーサカ](五銭)以上を盗む。
3 他人・天人を自ら殺害、あるいは殺害教唆、自殺奨励して実行させる。
4 故意に禅定あるいは賢者・聖者の位を得たと虚言する。
5 摩触 欲情の心をもって、(出家・在家問わず)男性に脇(あるいは首)から下、膝から上の体の部分を触られる。
6 八事成犯 欲情の心をもって、欲情の男性に手・衣を捉られ、人目につかぬ場所に入り、共に立ち、共に語らい、共に人目につかぬ場所に行き、共に寄り添い、共に人目につかぬ場所にて会うことを約束する。
7 覆蔵他罪 他の比丘尼が波羅夷罪を犯したことを知りながら、あえて僧伽にこれを告発せず、隠匿する。
8 随被挙人 僧伽から何事か罪を告発されていながらもこれを認めず、従っていない比丘に随っていることを、他の比丘尼から、その罪・過失を指摘されるも、これに従わないこと三度に至って、なお無視する。

比丘尼は、あくまで比丘の下部に位置づけられた、比丘サンガに従属する存在です。比丘尼サンガはそれのみで存在し得るものではありません。もし、比丘尼サンガが強固に存在していたとしても、比丘サンガが消滅してしまえば、その時点で比丘尼サンガは存続し得なくなってしまいます。

しばしばこのような点を、「仏教は性差別する宗教である」などとして、現代のフェミニスト等が批判することがあります。

上座部(分別説部)では、12世紀中頃にスリランカにおける破仏による、サンガの荒廃によって比丘尼僧伽が消滅して以来、比丘尼僧伽は存在していません。日本では、比丘尼僧伽どころか比丘僧伽自体が滅んでしまったので、比丘尼あるいは沙弥尼も一人として存在しえません。

同じく、長い大乗の伝統を誇るチベット仏教にもまた、比丘尼僧伽は存在していません。チベット仏教では、比丘尼僧伽の設立に向けた動きもありますが、それには四方サンガの同意が必要として、具体的なものとはなってはいません。

現在、この比丘尼僧伽が存在しているのは、支那と台湾に限られます。これは部派のうち法蔵部の律蔵である『四分律』に基づくもので、大乗の系統です。

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2.復興された上座部の比丘尼僧伽?

比丘尼僧伽の復興

1997年、インドはブッダガヤにおいて、台湾の比丘尼僧伽から比丘尼多数を招聘し、上座部の比丘尼を生み出すための授具足戒会が執行されています。

これに参加するべく、スリランカのダサシル・マータなど20名が前もって沙弥尼(?)となって、実際に参加して受具。翌1998年、インドで受具した女性たちが、とあるスリランカの大変有名・有力な比丘(Sumaṅgala[スマンガラ])の支援のもと、やはり上座部における比丘尼僧伽の復活を唱え、実際にスリランカは中部に位置するDambulla[ダンブッラ]にて、比丘尼の授具足戒会を開壇し、ついに比丘尼僧伽(?)の復活を宣言しました。

これは、上座部の歴史における(その大小はともかくとして)事件、といってよい出来事でした。

そして、その後20年を経ようかとする2009年、この流れを受けたスリランカ上座部系の白人女性を含んだ尼僧らが、オーストラリアにて上座部の比丘尼僧伽(?)の設立を果たしています。

(もっとも、これ以前にもアメリカなどにおいて、スリランカから生み出された比丘尼(?)による個人的な、ごく小規模な活動はありはしました。)

ところがしかし、これを上座部仏教国のほとんどの者が、これは僧俗問わずに認めておらず、中には嘘っぱちの比丘尼だとかマガイモノだと批判する者があります。

ある著名な白人比丘などは、「この比丘尼僧伽復興運動などというものは、サンガにおけるおぞましき疫病である」などと、激しく批判してしています。このような過激とすら思われる言は、仏陀が女性を出家させることに難色を示し、ついには女性の出家を許されるもその過失を比喩で示された律蔵の記述(比丘尼犍度)に基づくものでしょう。

たとえば、ビルマでは、そもそも比丘尼僧伽が存在したという歴史が無く、よって「復興」などという考え自体が起こりえません。比丘尼僧伽は、遠い昔の異国の地にて、この世から完全に消滅して久しく、復興などありえない、と認識されており、実際にそのように教育されています。故に「復興された比丘尼僧伽」など、全く問題外としています。

これはタイも同様です。もっとも、仏教を国教とするタイの場合は、「サンガ法」という法律が布かれており、国法としてサンガを保護し、あるいは規制・統制しています。

これはいわば、日本の明治初頭に廃棄された「僧尼令[そうにりょう]」の現代タイ版であり、僧綱[そうごう]と同様の機関・役職も設置されています。この法律は、比丘尼僧伽の存在は滅亡したものとの(一般的な)認識に立ち、比丘尼僧伽の存在などまったく前提としていないため、比丘尼僧伽を復興すること、比丘尼の授戒を行うことなどが、「違法」となってしまう点において、その他の国と比べて特殊であると言えます。

当のスリランカ国内でも意見が分かれるところですが、大勢としては、これを比丘尼だとは全く認めていません。しかし、これを声高に公言する者は少数です。

何故か。

まず、設立者の比丘が、政治的・経済的に大変な力を各種方面に持っており、これに直接反対するのは愚策であるためです。また、すでにその比丘尼僧伽(?)で出家した女性が相当数に上るので、これをマガイモノと強く公に否定することは、女性からの反感を買うことになりかねません。

スリランカの僧伽も、他の各国と同様、日常的なレベルではほとんど女性の信仰によってのみ支えられているので、それに対する否定的言動など、得るモノ無くして失うモノの多なるものです。と、いっても、在家信者の女性達にも、彼女たちを比丘尼とは認めていない者が多くあります。

いや、そもそも、創立当時は新聞紙上などを賑わせたものの、スリランカの比丘達はこの件について、もはや別段の興味を持っておらず、「勝手に(非法に)女性達が騒いでいること」という程度の態度で無視しており、故に彼女たちの思想や活動についてよく知るスリランカ僧はほとんどありません。

要するに、海外(特に白人社会)からすれば比較的高い関心をあつめ、ある種の事件として注目されているのとは異なって、スリランカ国内ではその程度のことでしかありません。

忘れられた比丘・比丘尼のありかた

ところで、人が比丘あるいは比丘尼となった時、その人には、比丘性[びくしょう]あるいは比丘尼性[びくにしょう]というものが備わったとされます。

これには、上座部の比丘性・比丘尼性だとか法蔵部の比丘性・比丘尼性などという区別などありません。部派の異なりはあっても、それぞれ律蔵に則った受戒方法(白四羯磨)によってなった比丘・比丘尼であれば、これは僧伽・僧宝の成員であって、排除すべきものではありません。

多くの部派が存在・乱立し、共存していたインド本国や東南アジアでの過去のあり方は、シルクロード経由あるいは南海経由でインドに渡った、偉大な支那僧達の紀行などの記録によって知ることが出来ます。そこでは、他部派で受具した比丘を比丘として認めない、受け入れないということの無かったことが知られるのです。

この再興された比丘尼僧伽(?)を認めない人々、これは現実として上座仏教圏で大勢を占めていますが、彼らは、比丘あるいは比丘尼というもののインド本国での歴史的ありかた、部派が乱立・共存していた昔、インド当地でのあり方を完全に忘れた人々であると言えるでしょう。

しかし、また同時に、その様な現在における上座部(分別説部大寺派)の排他性・独善性もまた、南アジアや東南アジア(特にスリランカとビルマ)の王朝がどのようにサンガに干渉してきたか、サンガがどのように王朝に依存してきたかなどの過去を振り返ってみれば、歴史的なものであると見ることが出来るのです。

八敬法を遵守しない比丘尼(?)たち

しかしながら、ただこの比丘尼僧伽の復活を、手放しに認めて、喜ばしい、すばらしいなどと肯定的に捉えられない面も強く存しています。

まず、彼女たち比丘尼僧伽の復活を志す者達、特に白人女性や西洋教育を受けた者達は、上に記した比丘尼である以上は必ず終生守らなければならない八敬法を、形式上は受けているものの、実際としては前時代的女性蔑視の駄法として、その一部を無視あるいは放棄しています。

この様な態度・主張は、白人女性が言い出したことなどではなく、台湾の比丘尼僧伽の指導者的役割を果たしている台湾人比丘尼が強調していたことです。このような態度や意見を、この比丘尼僧伽復興の流れにあるすべての女性達が持っている、などということはありません。

しかし、主導的立場にある者達の多く、インドの仏教系フェミニスト団体やスリランカ経由で引き継いだ白人尼僧達が、これと同様の態度をが主張し、騒いでいるものです。

ちなみに、僧伽内における男女同権を叫ぶ彼女たち(あるいは彼ら)からしばしば聞かれる意見は、大体にしてこのようなものです。

「比丘の中には、およそ僧侶としてふさわしくない、まったく尊敬するに値しない者が(多数)いる。しかしそれでも、女性と言うだけで、比丘尼がどんな年少の比丘でも、悪比丘であってもこれを礼拝して尊敬せねばならず、またその過失を挙げることが出来ないなどと言うのは、まったく不合理だ。男女は平等であり、すべての権利・在り方においてもそうあるべきだ。釈尊の昔とは、時代も場所も違うのだ。八敬法などというのはインド的時代錯誤の悪法で、これを破棄したとしても仏教的に何も問題ないし、破棄すべきものだ。ビョードーだ、ダンジョドーケンだ」

あるいは、「釈尊はその当時、阿難尊者からの強い懇請から女性を出家させたことによって、千年は続くはずであった正法が五百年と短縮されてしまった、と嘆かれたと言われている。しかし、二千五百年の時を経たまさに現在でも、正法(?)は伝わっているではないか。この話はインドの男尊女卑思想に基づく虚偽であり、故に現在はそのような思想に基づく男女差別を排し、サンガではまったくの男女ビョードーを布くべきである。比丘尼の波羅提目叉には不合理で不必要なモノが多い。これを無視しての比丘尼復活は合理的で当然のこと」と、言った趣旨のものです。

また、ある白人仏教徒に言わせれば、これは例外的で極端な意見ではありますが、「八敬法などという女性蔑視の悪習を破棄することが、数々の迷信はびこる、およそ”仏教にはふさわしくない土地であるアジア”を脱するの鍵であり、仏教が文化(西洋)的に飛翔する要なのだ」そうです。

最近は、白人にも仏教徒が増えてきており、これは案の定と言うべきか、この手の発言をする者がちらほら見られ出しています。

「アジア人は仏教を堕落させ、歪ませて理解し実践している。むしろ自分たち白人こそ、仏教を合理的に、そして正確に、正しく理解し実践出来る。いや、すでに理解している」と。

「(我が敬愛する)仏陀はインドに侵略したアーリア人の後裔であり、間違いなくコーカソイド(白人)であった。愚かで、眼のうすら細く、肌黒く醜いモンゴロイドなどではなかった。これは科学的に、言語学・人類学的に立証できる」などとも。驚く前にまず呆れてしまいますが、まったく、本当に節操のないことです。

律を前提としてこその比丘尼

さて、しかし、律蔵はもとより諸経典の諸説に従っても、「完全に八敬法を受持」せずして比丘尼になど決してなれはしません。八敬法を全く受持し、その上で具足戒をうけて初めて比丘尼です。

日本で僧侶を生業とする者が、仏教の僧侶としてはまったく欠格で、世界では比丘(正式な仏教僧侶)として全然扱われないのと同様に、律蔵の規定を離れては、比丘尼として認められません。

具体的には、彼女たちは、八敬法のうち第一から第四までの条項を遵守しておらず、殊に問題とすべきは、第四の条項にある正学女(式叉摩那)として二年間を過ごした者が、彼女たちの中に一人もいない、という点です。故にこれは、ここで先ほどからそうしているように、「比丘尼僧伽(?)」と、今は一応表記しておいたほうがよいものです。

律あってこその比丘尼、八敬法を守ってこその比丘尼です。

しばしば、「いや、「私」は彼女たちの主張も理解できるし、そうあってもいいのではないかと思う。実際、釈尊の当時とは時代が違うのだし、伝統にこだわるのもいいが、教条主義的に過ぎてはいけない。やはりサンガとしても時代の潮流にあわせるべきではないか」といったごとき発言をする輩が現れます。

が、率直に言って、それは門外漢の無責任な放言に過ぎません。

「私」などという者は、外からいくらでも、どうにでも思えるでしょう。しかし、ここで必要なのは、仏教としての根拠であって、「私はこう思う」などという類のものではありません。

あるいは、「仏教の出家者個人が金銭を布施として受納し、貯蓄することが不可のはずである。しかし、今やほとんどすべての僧侶がこれに違反して、守ろうとの姿勢すら見せていない。この戒律の条項はいまや完全に空文化しており、実際、皆が平気で破っていても誰もこれを問題とせず、僧侶・比丘としてやっているではないか。八重法についても同様に考え、実行したらどうか」という意見も、稀ながら耳にします。

律にはその条項の重要性に軽重の差が設けられており、金銭を受納・貯蓄することについての戒を守らず破ることと、八重法を守らず破ることとでは、罪の軽重で言えば同列です(金銭を受蓄するのと八重法とは、律における罪の軽重で言えば、全て波逸提に該当)。

しかし、すでに比丘尼となっている者がこれを破るのと、今から比丘尼となろうとしているものがこれを守らないとでは大きく異なります。八重法は、根本的な比丘尼のありかたに関するものです。

もっとも、大いに問題とすべき点、彼女たちの大なる過失として強調すべき点はこれだけではありません。彼女たちが遵守していないのは八敬法だけではなく、弟子(正学女)を授戒させるために必要な、比丘尼として経ていなければならない「12年以上の法臈」を満たしていないなど、その他多くの律の規定です。

遠い夜明け

スリランカにおける上座部の比丘尼僧伽(?)の復活を見てから13年を経ようとする2010年現在、スリランカにはおよそ600人の比丘尼(?)と1000人の沙弥尼(?)が存在し、そのほとんどがごく小規模のものながらも、約100の彼女たちの精舎が建てられています。

現実として、彼女たち自身は、比丘尼あるいは沙弥尼として誇りを持ち、真摯に道を求めて修学に励んでいるものの、そのあり方の根本において、律に従っていないという重大な諸問題をはらんでいるため、上座部としてはもとより、法蔵部あるいは大乗の観点からも、彼女たちを比丘尼として認め、擁護することは困難です。

時代が云々、合理性が云々などと、それだけを基準にして言うならば、今時僧侶が袈裟などというものだけを着るのは時代遅れで不合理、戒律の多くの条項も古代インドの習慣に過ぎないローカル制度で国際的に不適合かつ時代錯誤。一日一食で、正午を過ぎたらいかなる固形物も採れないというのも迷信に基づく不合理な条項、かつ栄養学的な観点から不合理。金銭に触れない、受納しない、貯蓄しないなどというのも、口だけの空文、故に不合理、などと幾らでも、どのようにでも言えてしまうものです。

合理合理と、このような言に一々耳を傾けて実行していたら、あっという間にまるで今とはまるで違うシロモノになることでしょう。

西洋的合理主義的な傲慢なる態度、フェミニズムの腐臭が漂うこのような態度が、「サンガにおけるおぞましき疫病」と批判されても致し方ない点が存することは確かです。八敬法に従うのがあくまで嫌である、というのであれば、比丘尼として出家などしなければ良いだけの話です。比丘尼や沙弥尼としてではなくとも、一応尼僧として活動することは現在ならば可能です。

しかし、彼女たちの多くが、「八敬法をはじめとする女性蔑視の「前時代的」律を守るのは嫌だが、ただの尼僧などではなく比丘尼でなければどうしても嫌なのだ」という、大変矛盾したことを頑として主張して譲りません。正しく比丘尼僧伽が復活するのには、いまだしばらく、いや、かなりの時間がかかりそうです。

おそらく、このような流れからは、正しく比丘尼僧伽が復活することは難しいかもしれません。

小苾蒭覺應 敬識
(horakuji@gmail.com)

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