真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

現在の位置

五色線

ここからメインの本文です。

‡ 『雑阿含経』(安般念の修習)

現代語訳を表示
解題凡例 |  1 |  2 |  3 |  4 |  5 |  6 |  7 |  8 |  9 |  10 |  11 |  12 |  13
原文 |  訓読文 |  現代語訳

← 前の項を見る・最初の項へ戻る →

・ トップページに戻る

1.現代語訳

『雑阿含経』

宋天竺三藏 求那跋陀羅 譯

(801)
このように私は聞いた。ある時、仏陀は舎衛国(サーヴァッティー)は祇園精舎に住しておられた。その時、世尊は告げられた。「比丘たちよ、五法がある。多くの利益をもたらす安那般那念(アーナーパーナサティ)を修習すべきである。何をもって五とするであろうか。浄戒・波羅提木叉律儀に則り、威儀・行処具足して、微細なる罪にも畏れを生じ、学戒を受持することが第一である。多くの利益をもたらす安那般那念を修習すべきである。また次に比丘たちよ、少欲・小事・少務であること、これが第二である。多くの利益をもたらす安那般那念を修習すべきである。また次に比丘たちよ、飲食について量を知り、多すぎず少なすぎずの適量を摂ること。飲食するに際して欲望を起こさず、精勤して修禅する。これが第三である。多くの利益をもたらす安那般那念を修習すべきである。また次に比丘たちよ、初夜・後夜にも睡眠を貪らず、精勤して瞑想すべきである。これが第四である。多くの利益をもたらす安那般那念を修習すべきである。また次に比丘たちよ、静かな林の中にあって、諸々の喧噪を離れること。これが第五である。多くの利益をもたらす安那般那念を修習すべきである」と。仏陀がこの経を説き終わられたとき、諸々の比丘は、仏陀の所説を聞いて歓喜した。

(802)
このように私は聞いた。ある時、仏陀は舎衛国は祇園精舎に留まっておられた。その時、世尊は告げられた。「比丘たちよ、まさに安那般那念を修習すべきである。もし比丘が安那般那念を修習して習熟すれば、身体は止息し、心が止息して、尋あり伺あり、寂滅・純一にして、明分想の修習を満足する」と。仏陀がこの経を説き終わられたとき、諸々の比丘は、仏陀の所説を聞いて歓喜した。

(803)
このように私は聞いた。ある時、仏陀は舎衛国は祇園精舎に留まっておられた。その時、世尊は告げられた。「比丘たちよ、まさに安那般那念を修すべきである。もし比丘が安那般那念を修習して習熟すれば、身体は止息し、心が止息して、尋あって伺あり、寂滅純一にして、明分想の修習を満足するであろう。何を以て、安那般那念を修習すること久しくなれば、身体は止息し、心が止息して、尋あって伺あり、寂滅純一にして、明分想の修習を満足する、と言うのであろうか。この比丘が、もし村落や市街に住み、晨朝に袈裟をまとって鉄鉢を持ち、村に入って托鉢乞食する時、よくその身の振る舞いを正し、諸々の感覚を制して、心をゆるがせにせず、托鉢を終えて住所に帰り、袈裟と鉄鉢を片付け、足を洗い終わる。あるいは林の中、空屋、樹の下、または空き地に入って身を正して結跏趺坐して、よく気をつける。目の当たりに、世俗の貪愛を断じ、欲を離れ清浄にして、瞋恚・睡眠・掉悔・疑を断じ、諸々の疑惑を離れて、善なる法について確信を得るに至る。五蓋煩悩という、心において智慧の力を弱らせ、涅槃に趣かせない障碍となるものから離れる。入る息を念じ、(息の長いこと・息の短いことに)念を繋げて行ずる。吐く息を念じ、息の長いこと・息の短いことに念を繋げて行ずる。身体全体を覚知しつつ入息し、身体全体(を覚知する)にて入息を行ずる。身体全体を覚知しつつ出息し、身体全体(を覚知する)にて出息することを行ずる。すべての身行が静まっていることを覚知しつつ入息し、すべての身行が静まっていつつ出息することを行ずる。すべての身行が静まっていることを覚知しつつ出息し、すべての身行が静まっていつつ出息することを行ずる。喜を覚知しつつ(入出の息をする)、楽を覚知しつつ(入息の息をする)、心行を覚知(しつつ入息の息を)する。心行が静まっていることを覚知しつつ入息し、心行が静まっていることを覚知しつつ入息することを行ずる。心行が静まっていることを覚知しつつ出息し、心行の静まっていることを覚知しつつ出息することを行ずる。心を覚知しつつ(入出の息をする)、心悦を覚知しつつ(入出の息をする)、心定を覚知(しつつ入出の息をする)する。心解脱を覚知しつつ入息し、心解脱を覚知しつつ入息することを行ずる。心解脱を覚知しつつ出息し、心解脱を覚知しつつ出息することを行ずる。無常を観察しつつ(入出の息をする)、(愛欲の)断を観察しつつ(入出の息をする)、無欲を観察(しつつ入出の息を)する。滅を観察して入息し、滅を観察しつつ入息することを行ずる。滅を観察して出息し、滅を観察しつつ出息することを行ずる。これを、安那般那念を修して、身体は止息し心が止息して、尋あって伺あり、寂滅純一にして、明分想の修習を満足することという」。仏陀がこの経を説き終わられたとき、諸々の比丘は、仏陀の所説を聞いて歓喜した。

(804)
このように私は聞いた。ある時、仏陀は舎衛国は祇園精舎に留まっておられた。その時、世尊は告げられた。「比丘たちよ、まさに安那般那念を修習するべきである。安那般那念を修習して習熟すれば、諸々の覚想を断じるであろう。どのように安那般那念を修習して習熟すれば、諸々の覚想を断ずると云うのであろうか。もし比丘が、村や町に住み、…(先に広く説いたところに同じ・乃至)…出息の滅において善く行じる。これを安那般那念を修習して習熟すれば、諸々の覚想を断じると云う」と。仏陀がこの経を説き終わられたとき、諸々の比丘は、仏陀の所説を聞いて歓喜した。

覚想を断じ、このように動揺することがなければ大きな果報と大きな利益を得る。そして甘露を得、甘露を究竟し、二果・四果・七果を得る。一一の経もまた、上のように説かれる。

(805)
このように私は聞いた。ある時、仏陀は舎衛国は祇園精舎に留まっておられた。その時、世尊は告げられた。「比丘たちよ、私が説いている通りに、安那般那念を修習しているであろうか」と。その時、一人の比丘があって、その名は阿梨瑟吒(アリッタ)というのが、衆の中で坐っていた。(阿梨瑟吒は)座より立ち上がって袈裟衣を整えて、仏陀に礼拝をして、右膝を地につけ合掌し、仏陀に申し上げた。「世尊よ、世尊がお説きになられたところの安那般那念を、私はすでに修習しています」と。仏陀は、阿梨瑟吒比丘に告げられた。「汝は、どのように私が説くところの安那般那念を修習しているのであろうか」。(阿梨瑟吒)比丘は、仏陀に申し上げるには「世尊よ、私は過去の諸行について(あの時は良かった・悪かったなどと)顧みて懐かしむことなく、未来の諸行に(こうしたい・ああしたいとの)願望を起こさず、現在に行じていることにたいして執着を生じず、内と外との(認識対象について)嫌悪する想いを正しく除滅しています。私はすでにこのように、世尊がお説きになった安那般那念を修しています」と。仏陀は、阿梨瑟吒比丘に告げられた。「汝は実に私が説くところの安那般那念を修しており、修していないということはない。しかしながら、比丘よ、汝の修している安那般那念よりも、更に勝妙にしてその上に優れたものがある。何をもって勝妙にして阿梨瑟吒が修している安那般那念よりも優れたものというであろうか。比丘が、市街や村落に住み、…(先に広く説いたところに同じ・乃至)…息出滅を観察し、善く行じる。これを、阿梨瑟吒比丘よりも勝妙にして、汝の修する安那般那念よりも優れたものというのである」と。仏陀がこの経を説き終わられたとき、諸々の比丘は、仏陀の所説を聞いて歓喜した。

(806)
このように私は聞いた。ある時、仏陀は舎衛国は祇園精舎に留まっておられた。その時、世尊は、晨朝に袈裟をまとって鉢を持ち、舎衛城に入って乞食された。(托鉢して得た食物で昼食を)食し終えたところで精舎に帰り、袈裟と鉢を片付け、足を洗い終わって、坐具を持って安陀林に入られた。そして一つの樹の下に坐され、日中に禅定を修されていた。その時、尊者罽賓那(カッピナ)もまた、晨朝に袈裟をまとって鉢を持ち、舎衛城に入って乞食された。(托鉢して得た食物で昼食を)食し終えたところで精舎に帰り、袈裟と鉢を片付け、足を洗い終わって、坐具を持って安陀林に入られた。そして樹の下にて坐禅していた。(その場所は)仏陀からそれほど離れておらず、身体(の姿勢)を正しくして動ぜず、身心は正直にして勝妙に修禅していた。その時、衆多の比丘たちは、夕暮れ時になって禅より出、仏陀のところに往詣し、稽首して仏陀の足に礼拝した。そして、少し退いて(仏陀の)一方に坐した。仏陀は、諸々の比丘にかく語られた。「比丘たちよ、尊者罽賓那を見たであろうか。私からそれほど離れていないところで、身を正して端坐し、身心を動ぜずに勝妙住に住している」と。比丘たちは仏陀に申し上げるには「世尊よ、私たちはしばしば、かの尊者が身を正しくして端坐し、善くその身を摂して傾かず動ぜず、勝妙に専心しているのを見ています」と。仏陀は語られる。「比丘たちよ、もし比丘で三昧を修習し、身心を安住し、傾かず動ぜずに勝妙住に住せば、その比丘はこの三昧を得る。困難なく苦心すること無く、意のままに(三昧を)得る」。諸々の比丘は仏陀に申し上げた。「どのような三昧をもって、比丘はその三昧を得て身心動ぜず、勝妙住に住するのでしょうか」。仏陀は語られる。「比丘たちよ、もし比丘で村落に留まり、晨朝に袈裟をまとって鉄鉢を持ち、村に入って托鉢乞食を終えて精舎に帰り、袈裟と鉄鉢を片付け、足を洗い終わる。そして林の中、もしくは空屋に入って露坐し、思惟して繋念し、…(乃至)…息滅を観察して善く行ずれば、これを(その)三昧という。もし比丘が、端坐思惟すれば、身心動ぜずして勝妙住に住する」。仏陀がこの経を説き終わられたとき、諸々の比丘は、仏陀の所説を聞いて歓喜した。

(807)
このように私は聞いた。ある時、仏陀は一奢能伽羅(イッチャーナンガラ)の林の中に留まっておられた。その時、世尊は告げられた。 「比丘たちよ、私は二ヶ月間坐禅したい。比丘たちは、(私のところに)往来しないように。ただし、(毎日私のもとに)食を届ける比丘と布薩(に比丘が全員集まる)時は除く」と。そして、世尊は、このように語られてから二ヶ月間坐禅されたが、一人の比丘として敢えて往来する者はなかった。ただ食を届けるのと布薩時を除いては。そして、世尊が坐禅されること二ヶ月が過ぎて禅より出て、比丘僧の前に坐されて告げられた。「比丘たちよ、もし諸々の外道の出家が訪ねて来、比丘たちに沙門瞿曇(ゴータマ)は二ヶ月の間、どのように坐禅したのであろうかと問い尋ねたならば、比丘たちはこのように答えるべきである。「如来は二ヶ月、安那般那念をもって坐禅思惟して住された」と。その訳は何かと云えば、私はこの二ヶ月、安那般那を念じ、多く思惟して住していた。入息している時は入息を念じてありのままに知り、出息している時は出息を念じてありのままに知る。――(その入息・出息は)あるいは長いままに、あるいは短いままに。身体全体を覚知しつつ入息していれば、それを念じてありのままに知り、身体全体を覚知しつつ出息していれば、それを念じてありのままに知る。身行が寂静であって入息していれば、それを念じてありのままに知り、…(中略)…滅にあって出息していれば、それを念じてありのままに知る。(そのように)私は悉く知り終わったとき、私にこのような考えが起こった。「これは麁なる思惟に住したものである。私は今、この(麁なる)思惟において止息したならば、更に他の微細(の思惟)を修習して住することを修そう」と。そして、私は麁なる思惟を止息し、さらに微細の思惟に入って多く住し、さらに住した。ちょうどその時、三人の見た目の素晴らしい天神があり、夜を過ぎて私のところにやって来た。一人の天神は、このように語った。「沙門瞿曇には、(寿命が尽き、無余依涅槃に入る)その時が来た」と。また一人の天神が言うには「その時が来たのではない。その時が今まさに来ようとしているのだ」と。第三の天神が言うには「その時が来たのではない。また、その時が今まさに来ようとしているのでもない。修習に住しているのだ。阿羅漢が定に入っているだけである」と。仏陀は語られた。「比丘たちよ、もし正しく説いたならば、聖住・天住・梵住・学住・無学住・如来住がある。学人で、いまだ得ていないものがあるならばまさに得るべきである。到っていないければ至るべきである。証していなければ証するべきである。無学人の現法楽住とは、安那般那念である。これが即ち正説である。その所以は何かと云えば、安那般那念とは、聖住・天住・梵住、乃至無学の現法楽住であるからである」。仏陀がこの経を説き終わられたとき、諸々の比丘は、仏陀の所説を聞いて歓喜した。

(808)
このように私は聞いた。ある時、仏陀は迦毘羅越(カピラヴァットゥ)の尼拘律(ニグローダ)樹園の中に留まっておられた。その時、釈氏摩訶男(マハーナーマ)は、尊者迦磨比丘の所を訪ね、迦磨比丘の足を礼拝した。そして、すこし退いてから(迦磨比丘の)一面に坐し、迦磨比丘に語った。「尊者迦磨よ、学住とはすなわち如来住でしょうか。学住と如来住とは異なるものでしょうか」。迦磨比丘が答えて言った。「摩訶男よ、学住と如来住とは異なるものである。摩訶男よ、学住とは、五蓋を断じて習熟すること。如来住とは、五蓋をすでに断じ終わったと知ることである。その根元を断つことは、多羅樹の頭を切るようなものであって、さらに生長することはない。未来世において不生法を成ずるのである。ある時、世尊は一奢能伽羅林の中に留まっておられた。その時、世尊は語られたのには「比丘たちよ、私はこの一奢能伽羅林の中において二ヶ月間坐禅したい。比丘たちよ、汝らは(私のところにこの二ヶ月間は)往来しないように。ただし、(毎日私のもとに)食を届ける比丘と布薩(に比丘が全員集まる)時は除く。…(広く説くところは先に述べたのと同様であり中略)…無学の現法楽住であるからである」と。このようなことから知られるであろう、摩訶男よ、学住と如来住とは異なることが」。釈氏摩訶男は、迦磨比丘の所説を聞いて歓喜し、座より立って去った。

(809)
このように私は聞いた。ある時、仏陀は金剛聚楽(ヴァッジ)の跋求摩河の辺りにある、薩羅梨林の中で留まっておられた。その時、世尊は諸々の比丘の為に不浄観を説かれ、不浄観を讃嘆してかく語られた。「比丘たちよ、不浄観を修するのに、多く修習すれば、大果報・大利益を得る」と。そこで諸々の比丘は、不浄観を修したところ、極めて(自身らの)身体を厭い煩わしく思うようになり、あるいは刀をもって自殺し、あるいは毒薬を服用し、あるいは縄でもって首を吊り、崖から身を投じて自殺し、あるいは他の比丘に依頼して(自分を)殺させた。異比丘で、極めて(身体に)嫌悪感を生じ、不浄を見るのを悪む者があった。(彼は)鹿林梵志子のところに行き、鹿林梵志子にこう告げた。「賢者よ、汝が私を殺したならば、(私の)袈裟衣と鉄鉢は汝のものとなるだろう」と。そこで鹿林梵志子はその比丘を殺し、(殺すのに用いた)刀をもって跋求摩河の辺りに行って刀を洗った。その時、魔天があった。空中にあって、鹿林梵志子を賞賛して言った。「善い哉、善い哉。賢者よ、汝は無量の功徳を得た。諸々の沙門釈子で持戒の有徳を、いまだ度されていない者を度し、いまだ脱していない者を脱し、未だ蘇息していない者には蘇息することを得させ、未だ涅槃していない者には涅槃を得さしめたのである。(その比丘の所有していた)諸々の余剰品・袈裟と鉄鉢・生活用品のすべては、汝の物となった」と。鹿林梵志子は、(魔天が)讃嘆するのを聞きおわって悪邪見を増長させ、このような考えをなした。「私は今、真実に大きな福徳を作ったのだ。沙門釈子で持戒の有徳をして、いまだ度されていない者を度し、いまだ脱していない者を脱し、未だ蘇息していない者には蘇息することを得させ、未だ涅槃していない者には涅槃を得さしめたのである。(その比丘の所有していた)諸々の袈裟と鉄鉢・生活用品のすべては、私の物となった」と。そこで手に鋭い刀をとり、(比丘たちが住む)諸々の房舎・経行処・別坊・禅坊を巡り訪ね、諸々の比丘を見ては、このような言葉をなした。「どの沙門が持戒して有徳であろうか。いまだ度されていない者を私が度してやろう。いまだ脱していない者は脱してやろう。未だ蘇息していない者には蘇息してやろう。未だ涅槃していない者には涅槃を得さしてやろう」と。すると比丘たちの中には身体を厭い煩わしく思っていた者があり、彼らは皆な房舎を出てきて鹿林梵志子に言った。「私はいまだ度し得ていない。汝よ、私を度せよ。私はいまだ脱し得ていない。汝よ、私を脱せよ。私はいまだ蘇息し得ていない。汝よ、私を蘇息せよ。私はいまだ涅槃を得ていない。汝よ、私に涅槃を得させよ」と。そこで鹿林梵志子は、鋭い刀でもってその比丘らを次々と殺し、ついには六十人を殺すにいたった。さて、世尊が十五日の布薩説戒の時となって、衆僧の前に坐され、尊者阿難に語りかけられた。「いかなる原因、いかなる条件によって、比丘たちがひどく少なく、減ったのであろうか」と。阿難は、仏陀に申し上げた。「世尊は、比丘たちの為に不浄観の修習を説かれ、不浄観を讃嘆されました。比丘たちは、不浄観を修したところ、極めて身体を厭い患わしく思うようになりました。…(すでに広く説いたのに同様であり中略)…六十人の比丘を殺しました。世尊よ、このような因縁によって、比丘たちはひどく少なく減ったのであります。願わくば世尊よ、どうかさらに別の法をお説きになり、比丘たちはこれを聞いて、智慧を勤修し、正法を楽受し、正法に楽住するようにして下さい」と。仏陀は、阿難に語られた。「それでは、私は今ここに次第して説こう。微細住に住し、随順して開覚すれば、已に生じ、または未だ生じていない悪・不善の法をすみやかに制止させるであろう。天から大雨が降ったとき、已に舞い上がり、または未だ舞い上がっていない塵芥を止めさせるように。そのように、比丘が微細住を修習すれば、諸々の已に生じ、または未だ生じていない悪・不善の法を、よく制止させる。阿難よ、なにを微細住を多く修習し、随順して開覚すれば、已に生じ、または未だ生じていない悪・不善の法を、よく制止させるというのであろうか。それは、安那般那念に住することである」と。阿難は、仏陀に申し上げた。「どのようなことが、安那般那念住を修習し、随順して開覚すれば、已に生じ、または未だ生じていない悪・不善の法を、よく制止させるというのでしょうか」と。仏陀は阿難に語られた。「もし比丘が、村落に留まり…(先に広く説いたところに同様であり中略)…滅において出息するをありのままに念じ、さらにまた行ずるのである」と。仏陀がこの経を説き終わられたとき、尊者阿難は、仏陀の所説を聞いて歓喜した。

(810)
このように私は聞いた。ある時、仏陀は金剛聚楽の跋求摩河の辺りにある、薩羅梨林の中で留まっておられた。その時、尊者阿難は、ひっそりとした静かな場所にて思惟禅思して、このような考えをなした。「実に一法がある。修習して習熟すれば、四法を満足する。四法を満足したならば、七法を満足する。七豊を満足したならば、二法を満足する」と。そこで尊者阿難は、禅より覚めて仏陀のところに往詣し、稽首礼足してから少し退いて(仏陀の)一方に坐した。そして仏陀に申し上げた。「世尊よ、私はひっそりとした静かな場所にて思惟禅思して、このような考えをなしました。「実に一法がある。修習して習熟すれば、四法を満足する。四法を満足したならば、七法を満足する。七豊を満足したならば、二法を満足する」と。私は今、世尊にご質問いたします。むしろ一法あって習熟したならば、乃至、二法を満足するでしょうか」と。仏陀は阿難に語られた。「一法がある。習熟したならば、乃至、二法を満足するであろう。何を一法というであろうか。それは安那般那念である。習熟したならば、よく四念処を満足する。四念処を満足したならば、七覚分を満足する。七覚分を満足したならば、智慧と解脱とを満足する。どのようなことが、安那般那念を修習すれば四念処を満足するというであろうか。比丘が村落に住み、…(乃至)…滅にあって出息しているとそのありのままに念じて行じる。阿難よ、このように聖弟子が、入息を念じる時には入息しているそのありのままに念じて行じ、出息を念じる時には出息しているそのありのままに念じて行じる。――(その入息・出息は)あるいは長いままに、あるいは短いままに。身体全体を覚知しつつ入息しているのを念じる時には、そのように入息しているありのままに念じて行じ、出息しているのを念じる時には、そのように出息しているありのままに念じて行じる。身行が静まって入息しているのを念じる時には、そのように身行が静まっていつつ入息しているありのままに念じて行じ、身行が静まって出息しているのを念じる時には、そのように身行が静まっていつつ出息しているありのままに念じて行じる。その時、聖弟子は身体ついての身観念に住しているのである。もし身体について迷い煩いがあれば、彼はまた今述べたように身を制御して明らかに知る。もし、そこで聖弟子が喜を覚知し、楽を覚知し、心行を覚知し、心行が静まっているのを覚知したならば、入息しているのを念じる時には、心行が静まっていつつ入息しているありのままに念じて行じ、心行が静まって出息しているのを念じる時には、そのように心行が静まっていつつ出息しているありのままに念じて行じる。その時、聖弟子は感受についての受観念に住しているのである。もし身体(感受?)について迷い煩いがあれば、彼はまた今述べたように感受について随身に比して思惟する。そこで聖弟子が心を覚知し、心悦・心定・心解脱を覚知したならば、入息しているのを念じる時には、入息しているありのままに念じて行じ、心が解脱して出息しているのを念じる時には、そのように心が解脱していつつ出息しているありのままに念じて行じる。その聖弟子はその時、心についての心観念に住しているのである。もし心に迷い煩いがあれば、彼はまた随心に比して思惟する。もし聖弟子が、無常・断・無欲・滅を観じたならば、無常・断・無欲・滅を観じたそのままに住して行じる。この聖弟子はその時、法についての法観念に住しているのである。法について迷い煩いがあれば、また法随に比して思惟する。これを、安那般那念を修習すれば、四念処を満足することと云う」。阿難は仏陀に申し上げた。「そのように、安那般那念を修習すれば四念処を満足するものとして、ではどのように四念処を修習すれば七覚分を満足させるのでしょうか?」と。仏陀は阿難に告げられた。「もし比丘が、身体について身観念に住し、念に住しおわって、念を結んで住して忘れることがなければ、その時、(その比丘は)勤めて念覚分を修する。念覚分を修習して、念覚分を満足する。念覚分を満足したならば、法を選択思量する。その時、勤めて択法覚分を修し、択法覚分を修習して、択法覚分を満足する。法を選択し分別思量したらなば、精勤方便を得る。その時、勤めて精進覚分を修する。精進覚分を修習して、精進覚分を満足する。精励精進すると、すなわち心歓喜する。その時、勤めて喜覚分を修する。喜覚分を修習して、喜覚分を満足する。(心が)歓喜すると、身体と心とが静止する。その時、勤めて猗覚分[軽安覚分]を修する。猗覚分を修習して、猗覚分を満足する。身体と心とが安楽となったならば、三昧を得る。その時、定覚分を修する。定覚分を修習して、定覚分を満足する。定覚分を満足して、貪欲と憂いが滅し、平等捨を得る。その時、勤めて捨覚分を修する。捨覚分を修習して、捨覚分を満足する。受・心・法の念処についてもまた同様に説く。これを、四念処を修習して七覚分を満足することと云う」。阿難は仏陀に申し上げた。「それを四念処を修習して七覚分を満足するものとして、ではどのようにすれば七覚分を修習すれば、明・解脱を満足するのでしょうか?」と。仏陀は阿難に告げられた。「もし比丘が、念覚分を遠離により、無欲により、滅によって修するならば、捨[涅槃]に向かう。念覚分を修習して、明と解脱とを満足する。…(乃至)…捨覚念を遠離により、無欲により、滅によって修するならば、捨に向かう。このように捨覚分を修習して、明と解脱とを満足する。阿難よ、これを名づけて、法法相類し、法法相潤とする。これら十三法を、一法の増上とする。一法(安那般那念)を門として、次第に増進して修習し、満足するのである」。仏陀がこの経を説き終わられたとき、尊者阿難は、仏陀の所説を聞いて歓喜した。

(811-812)
是の如く異比丘の問ふ所、佛の諸の比丘に問ひたまうも亦た上に説くが如し。

(813)
このように私は聞いた。ある時、仏陀は金毘羅(キンビラー)村の金毘林の中に留まっておられた。その時、世尊は、尊者金毘羅(キンビラ)に告げられた。「私は今、これから努め励んで四念処を修習することについて説くであろう。あきらかに聴き、善く考えよ。これを汝の為に説くでろう」。その時、尊者金毘羅はただ黙然としたままだった。このように(仏陀が告げられ、尊者金毘羅が黙然と)すること三度に及んだ。すると、尊者阿難は、尊者金毘羅に語られた。「今、大師は汝に三度まで告げられた」と。尊者金毘羅は、尊者阿難に語られた。「私はすでに(それを)存じています、尊者阿難よ。私はすでに存じています、尊者瞿曇よ」。そこで尊者阿難は、仏陀に申し上げた。「世尊、今が(それについて説かれるにふさわしい)その時です。世尊、今がその時です。善逝よ、ただ願わくは比丘たちのために、努め励んで四念処を修習することについてお説きになって下さい。比丘たちはそれを聞いたならば、それを受持して修行するでしょう」と。仏陀は阿難に告げられた。「あきらかに聴き、善く考えよ。これを汝の為に説くであろう。もし比丘が、入息しているのを念じている時は、そのように「入息している」と行じ、乃至、滅にあって出息している時は、そのように「滅にあって出息している」と行じる。そして、聖弟子は、入息しているのを念じる時には、そのように「入息している」と念じているままに行じる。…(乃至)…身行が寂静となって出息している時は、そのように「身行が寂静となって出息している」と行じる。その時、その聖弟子は、身体についての身観念に住しているのである。そして、聖弟子が身体についての身観念に住してのち、そのままに知って善く内省する」。仏陀は阿難に告げられた。「譬えば、ある者が荷車や馬車に乗って、東方からまたたくまに来るようなものである。その時、(それは)所々で盛り上がった土を、踏み平らかにするであろうか?」と。阿難は仏陀に申し上げた。「します、世尊」。仏陀は阿難に告げられた。「そのように、聖弟子が入息していることを念じる時には、そのように「入息している」と念じているままに行じる。そのままに…(乃至)…善く内省する。もしその時、聖弟子が喜を覚知し…(乃至)…心が寂静であるのを覚知して行ずれば、その聖弟子は、受についての受観念に住しているのである。聖弟子が受についての受観念に住してのち、そのままに知って内省する。譬えば、ある者が荷車や馬車に乗って南方からまたたくまに来たるようなものである。では阿難よ、その時(それは)盛り上がった土を、踏み平らかにするであろうか?」。阿難は仏陀に申し上げた。「します、世尊」。仏陀は阿難に告げられた。「そのように、聖弟子が受についての受観念に住したならば、(そのままに)知って善く内省する。もし聖弟子が、心(を覚知し)、あるいは欣悅心、あるいは定心、あるいは解脱心を覚知して入息しているならば、そのように「(心・欣悅心・定心・)解脱心にあって入息している」と行じる。(心・欣悅心・定心・)解脱心にあって出息しているならば、そのように「(心・欣悅心・定心・)解脱心にあって入息している」と行じる。その時、その聖弟子は、心についての心観念に住しているのである。そのように聖弟子が、心についての心観念に住してのち、(そのままに)知って善く内省する。譬えば、ある者が荷車や馬車に乗って西方から来るようなものである。それは盛り上がった土を踏み平らかにするであろうか?」。阿難は仏陀に申し上げた。「します、世尊」。仏陀は阿難に告げられた。「そのように聖弟子が、心乃至心解脱を覚知して出息しているならば、そのように「心解脱にあって出息している」と行じる。このような聖弟子はその時、心についての心観念に住し、(そのままに)知って善く内省する。善く身・受・心において貪欲と憂いとを除き去る。そして、聖弟子は、法についての法観念に住すのである。そのように聖弟子が、法についての法観念に住してのちは、(そのままに)知って善く内省する。阿難よ、譬えば四ツ辻に盛り上がった土があったとして、そこへある者が荷車や馬車に乗って北方からたちまちに来るようなものである。その馬車はその盛り上がった土を踏み平らかにするであろうか?」。阿難は仏陀に申し上げた。「します、世尊」。仏陀は阿難に告げられた。「そのように、聖弟子が、法についての法観念に住したならば、(そのままに)知って善く内省する。阿難よ、このようなことを名づけて、比丘が努め励み方便して四念処を修習することとなす」と。仏陀がこの経を説き終わられたとき、尊者阿難は、仏陀の所説を聞いて歓喜した。

(814)
このように私は聞いた。ある時、仏陀は舎衛国は祇園精舎に留まっておられた。その時、世尊は告げられた。「比丘たちよ、まさに安那般那念を修習すべきである。安那般那念を修習して習熟すれば、身体は疲倦せず、眼もまた患楽することがなく、観に随順して楽に住し、(それを)覚知して楽に執着することがない。ではどのようなことが、安那般那念を修習して習熟すれば、身体は疲倦せず、眼もまた患楽することがなく、観に随順して楽に住し、(それを)覚知して楽に執着することがないというのであろうか。比丘が、村落に留まり、…(乃至)…滅にあって出息しているのを観じている時は、そのように「滅にあって出息している」と行じる。これを、安那般那念を修習して習熟すれば、身体は疲倦せず、眼もまた患楽することがなく、観に随順して楽に住し、(それを)覚知して楽に執着することがないと云う。そのように安那般那念を修習したならば、大果報・大利益を得る。比丘が、欲悪不善の法より離れ、尋・伺を備え、離生の喜・楽ある初禅を得て住することを欲し求めるならば、その比丘は、まさに安那般那念を修習すべきである。そのように安那般那念を修習したならば、大果大福利を得る。比丘が、第二禅・第三禅・第四禅、慈・悲・喜・捨、空入処・識入処・無所有入処・非想非非想入処を得て、三結を尽くして須陀洹果を得、三結を尽くして貪・瞋・痴の勢力が薄らぎ、斯陀含果を得、五下分結を尽くして阿那含果を得、無量種なる神通力である、天耳・他心智・宿命智・生死智・漏盡智を得ることを欲し求めるならば、その比丘は、まさに安那般那念を修習すべきである。そのように、安那般那念は大果大福利をもたらす」。仏陀がこの経を説き終わられたとき、諸々の比丘は、仏陀の所説を聞いて歓喜した。

(815)
このように私は聞いた。ある時、仏陀は舎衛国は祇園精舎に留まり、夏の安居を過ごしておられた。その時、多くの上座の弟子たちは、世尊の左右にある樹下や洞窟の中において安居を過ごしていた。ある日、多くの出家してからさほど年月を重ねていない比丘らがあって、仏陀のところに詣り、仏陀の足を礼拝して、少し退いてから一方に坐した。仏陀は、それら年少の比丘のために様々に説法され、教えを示されて喜ばせた。教えを示されてのち、(仏陀は)黙然として住された。年少の比丘たちは、仏陀の説法を聞いて喜びに溢れ、座より立って礼拝をなしてから、去っていった。年少の比丘たちは、上座の比丘のところに往詣し、上座の比丘たちの足を礼拝してから一方に坐した。そこで上座の比丘たちは、このように考えた。「私たちは、これら年少の比丘らを指導しなければならない。あるいは一人が一人を受け持ち、あるいは一人でニ、三人またそれ以上を受け持とう」と。このように考えてから、実際に指導しはじめたが、あるいは一人で一人を受け持ち、あるいは一人で二、三人またそれ以上を受け持ち、ある上座比丘などには六十人を受け持つ者があった。さて、世尊は十五日の布薩の時、大衆の前に坐具を敷かれて坐された。そして世尊は、比丘たちの様子を観察されてから、比丘に告げられた。「善い哉、善い哉。私は今、比丘たちが様々に正しく行事をなしているのを嬉しく思う。その故に比丘たちよ、これからも努めて精進しべきである。(私は)この舎衛国にて迦低の満月の日を迎えよう」と。さて、そこかしこの集落にて(安居を過ごし)あった比丘たちは、世尊が舎衛国で安居されていたことを聞いた。(比丘たちは)滿迦低月が満ちて袈裟衣を縫い上げると、袈裟と鉄鉢を持って、舎衛国の集落を遊行し、ようやく舎衛国(の仏陀のご在所)に至った。袈裟と鉄鉢を片付け、足を洗ってのち、世尊のところに詣でて稽首礼足し、少し退いてから一方に坐した。そこで、世尊は集落の比丘たちの為に様々に説法された。教えを示されて喜ばせてのち、(仏陀は)黙然として住されていた。すると、あちこちの集落からやって来た比丘たちは、仏陀の説法を聞いて喜びに溢れ、座より立って礼拝をなしてから去っていった。そして、上座の比丘のところに往詣して稽首礼足し、少し退いてから一方に坐した。そこで上座の比丘たちは、このように考えた。「私たちは、これら集落の比丘らを指導しなければならない。あるいは一人が一人を、あるいは一人でニ、三人またそれ以上を受け持とう」と。そこで、(上座の比丘たちは)実際に(集落の比丘らを)受け持ち、あるいは一人が一人を受け持ち、あるいは(一人で)二、三人、乃至六十人を受け持つ者があった。それら上座の比丘たちは、集落の比丘たちを受け持って(彼らを)教誡教授するのに、善くその先後の順序を知った(優れた指導力を発揮した)ものであった。さて、世尊が月の十五日の布薩の時、大衆の前にて坐具を敷いて坐され、比丘たちの様子を観察されてから、比丘たちに告げられた。「善い哉、善い哉。比丘たちよ、私は汝らが正しく行事をなしているのを喜び、汝らの行うところが(これからも)正しいものであることを願う。比丘たちよ、過去の諸仏にも比丘衆があって、行うところが正しいものであったことは、今のこの衆と同様であった。未来の諸仏にも衆があって、その行うところが正しいものであるのは、今のこの衆と同様のものであろう。その所以は何かと言えば、今のこれら衆の中にある長老比丘たちは、初禅・第二禅・第三禅・第四禅、慈・悲・喜・捨、空入処・識入処・無所有入処・非想非非想処を得て、身に備えて住している者が有るためである。比丘の中には、三結を尽くして須陀洹[預流]を得て悪趣の法に堕すことなく、決定してただしく三菩提に向かい、七たび天もしくは人に往生すること有って、苦なるあり方を究竟する者が有るためである。比丘の中に、三結を尽くして貪・瞋・痴の勢力が薄らぎ、斯陀含[一来]を得ている者があるためである。比丘の中に、五下分結を尽くして阿那含[不還]の生般涅槃を得、ふたたびこの世に生まれ変わることのない者があるためである。比丘の中に、無量の神通力の境界を得て、天耳・他心智・宿命智・生死智・漏盡智を得ている者があるためである。比丘の中に、不浄観を修習して貪欲を断じ、慈心を修して瞋恚を断じ、無常観を修して我慢を断じ、安那般那念を修習して覚想を断じている者がある為である。どのようなことを、比丘が安那般那念を修習して覚想を断じると言うのであろうか。比丘が村落に留まり、…(中略)…滅を観察して出息しているならば、そのように「滅を観察して出息している」と行じる。これを、安那般那念を修習して覚想を断じることと言う。仏陀がこの経を説き終わられたとき、諸々の比丘は、仏陀の所説を聞いて歓喜した。

訓読文:沙門覺應
(horakuji@gmail.com)

← 前の項を見る・最初の項へ戻る →

・  目次へ戻る

・ 仏教の瞑想へ戻る

現代語訳を表示
解題・凡例 |  1 |  2 |  3 |  4 |  5 |  6 |  7 |  8 |  9 |  10 |  11 |  12 |  13
原文 |  訓読文 |  現代語訳

・ トップページに戻る

メインの本文はここまでです。

メニューへ戻る


五色線

現在の位置

このページは以上です。