『仏垂般涅槃略説教誡経(仏遺教経)』 ―仏陀最期の教え * 法楽寺
真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 『仏垂般涅槃略説教誡経(仏遺教経)』

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1.解題

『仏遺教経』とは

写真:釈尊滅度の地クシーナガル

『仏遺教経[ぶつゆいぎょうきょう]』とは、仏陀釈尊がマッラ国の首都クシナガラはサーラの樹の間、いわゆる沙羅双樹にて、今まさに滅度されようとする最後の時の説法を伝える経典です。

『仏遺教経』の正式な経題は『仏垂般涅槃略説教誡経[ぶっすいはつねはんりゃくせっきょうけきょう]』で、『遺教経』とも略称されることもあります。

「仏陀、最後の説法」を伝えている経典は、漢訳経典では『大般涅槃経』あるいは『仏般泥洹経』、『長阿含経』所収の『遊行経』、そして『仏本行実経』です。

パーリ語経典ではDīghanikāya, Mahāparinibbānasutta(長部『大般涅槃経』)がこれに該当します。

サンスクリットで書かれたものには、これは経典ではありませんが、Aśvaghoṣa[アシュヴァゴーシャ](馬鳴)という仏教詩人によって、正規のサンスクリットにてKāvya[カーヴィヤ]体といわれる流麗な美文で綴られたBuddhacarita(『ブッダチャリタ』)が伝わっています。古の日本にも伝わっていた『仏所行讃』はこの漢訳です。

『ブッダチャリタ』は、スリランカではサンスクリットあるいはシンハリーズで、日本では漢訳の『仏所行讃』、あるいは近年サンスクリットから日本語訳されたものなどにて、今も優れた仏伝の一つとして読まれています。

写真:釈尊滅度の地クシーナガルの涅槃像

さて、『仏遺教経』の今列挙した経典類と異なる点は、その仏陀の最後の説法だけに特化して伝えているところにあります。

その内容は、今まさに沙羅双樹にて死にゆこうとされている釈尊が、その弟子達に対し自身の滅後は律の諸規定(波羅提木叉[はらだいもくしゃ])をこそ師とし、よく戒を守って身心を制御し、修禅に励んですみやかに悟りにいたるべきことを説かれたものです。

また仏陀は弟子達に、いわゆる八大人覚の教説を垂れられた上で、四聖諦について疑いのないことを確認。自身は、その仏陀としての生涯において為すべきことをすべて為し終え、また説くべき事をすべて説きつくしたことを宣言されています。

そして、この世のすべては無常であって、故に修行者は一時も無駄に過ごさず勤めて修行するよう勧められ、これが仏陀の最後の教えであると結ばれています。

八大人覚

写真:涅槃像の台座に刻まれる釈尊の死を嘆き悲しむアーナンダ

『仏遺教経』は、比較的短い経典でありながら、出家修行者がいかに修行すべきかの要が、その漢訳が美文で名高い鳩摩羅什によるだけあって流麗な漢語によって綴られており、古来多くの宗派で重用されてきました。

この経の内容から、特に修禅者・瑜伽修行者にとって、大変有益なものです。

当サイトで紹介している明恵上人にとっては、十八才の頃に読んだというこの『仏遺教経』は、その後の人生を決定したとも言えるもので、実際その生涯において信受されていたといいます。

上人は、初めてこの経典を読んだときには感動のあまり涙した、とさえ伝えられているのです。

仏陀釈尊に対してひとかたならぬ信心を持っている者がこの経典に触れたならば、明恵上人のように涙こそせずとも、何らか感じるところ大なるものでしょう。

仏陀釈尊ご在世の当時のインド、それも釈尊の教えに直接触れ得る境涯に生まれ合わせることが出来ず、また釈尊のご入滅にも立ち会えなかった、無徳にして不祥の我が身ながら、この経典を読むことによって、あたかも我が身がその場に臨席し、その最後の説法の場を目の当たりにしているかのような感慨にふけることすら、あるいはあるかもしれません。

支那仏教はもとより日本仏教にも多大なる影響を与えた天台大師智顗[ちぎ]などは、その著『修習止観坐禅法要(天台小止観)』の中にて多く引用して修禅の典拠とし、禅宗では「仏祖三経」の一つとして重用。日本に曹洞宗をもたらした道元などはその著『正法眼蔵』(十二巻本)にて、この『仏遺教経』を根拠として「八大人覚」なる一章を最後に設け、これを強く推奨しています。

そこでこれは本経を実際に読めば確認できることですけれども、その八大人覚とは何かを簡単に示しておきます。

『仏遺教経』に説かれる八大人覚
- 名目 内容
1 少欲 求めるところを少なくすること。
2 知足 なんでも得たもので満足すること。
3 楽寂静 寂静を願うこと。世俗を離れ、解脱を求めること。
4 勤精進 勤め励むこと。努力精励してそれを継続すること。
5 不忘念 気をつけること。己が行いに注意し、現在行為する対象・目的を失わないこと。
6 修禅定 瞑想を修め、深い三昧(禅)を得ること。
7 修智慧 聞・思・修の三慧を行い、自らが法を証していくこと。
8 不戯論 多言、空虚な会話、無益な形而上学的議論に拘わないこと。

(関連する事項として、別項“前方便”を参照のこと。)

天下の三僧坊といわれた厳格な律院の一つ、野中寺の流れを組んだ法楽寺ではその昔、この『仏遺教経』は必ず学ばなければならない経の一つとしており、また日々の勤行において読誦していました。当時の経本が法楽寺には今も数冊伝わっています。

もっとも、きわめて遺憾ながら現代の真言宗のうち、古義真言宗の諸派ではこの経の存在をすら知らない者が少なくなく、また新義真言宗のみが年に一度だけ涅槃会にて訓読で読む程度のこととなっています。

しかしながら、上に述べたように『仏遺教経』は、僧侶のあるべきようを簡潔に説いたものと言え、また特に仏教の瞑想「止観」を修す者にその「歩み方」ではなく「行くべき道」を示す、得難い教えが説かれた経典の一つです。

これを暗誦し、その内容を理解して日々に読誦し、また(これが最も肝要ですが)この経説の通り行えば、その人にもたらされる功徳は、きっと計り知れないものとなるでしょう。

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2.凡例

本文

このサイトで紹介している『仏垂般涅槃略説教誡経(仏遺教経)』は、当法楽寺が古来所蔵し、また用いてきたものを底本とした。経本の裏書きによれば、いわば書誌情報は以下の通り。

 近州路金亀城祥壽山清涼禅寺 東溟辨日 校正
 正德六丙甲歳孟春穀旦 洛陽書林柳枝軒 刊行
 六角通御幸町西江入町 書林茨城多左衛門 版行

以上のように、ここで底本とした経本は、正徳六年すなわち西暦1716年に刊行されたものである。

野中寺から洪善普摂が晋山され、当法楽寺が律院として中興されたのは正徳元年。そのようなことから、おそらく法楽寺が中興されたその最初期に購入し、寺什物として伝えてきたものであろう。慈雲尊者も同様の経本を読誦されていたことは想像に難くない。

なお、ここで底本とした『仏遺教経』と、『大正新修大蔵経』12巻所収のものとは細かい点ながら多く相違している箇所があるため注意されたし。

原文は漢文であるため、原文・訓読文・現代語訳を併記し、対訳とした。

難読と思われる漢字あるいは単語につけたルビは[ ]に閉じた。

現代語訳は、基本的に逐語的に訳すことを心がけたが、読解を容易にするため、原文にない語句を挿入した場合がある。この場合、それら語句は( )に閉じ、挿入語句であることを示している。しかし、挿入した語句に訳者個人の意図が過剰に働き、読者が原意を外れて読む可能性がある。注意されたい。

脚注

補注は、とくに説明が必要であると考えられる仏教用語などに適宜付し、脚注に列記した。

非人沙門覺應 敬識
horakuji@gmail.com

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